
誰も気づかぬ殺人・自殺・突発死の三重奏
「あ・てる・てえる・ふいるむ」(横溝正史)
(「山名耕作の不思議な生活」)角川文庫
(「横溝正史ミステリ
短編コレクション①」)柏書房
(「車井戸は何故軋る」)東京創元社
少年は突然何を思ったのか、
ばたばたと表へ駆け出したが、
そこに掲げてある
スチールの前へ走っていった。
「ある、ある!」と、彼は叫んだ。
「やっぱり人の手だ。
こんなところから
人の手がのぞいているのを
だれも気がつかないのか」…。
終盤のクライマックス、
映画館で少年が突然叫び出す場面です。
粗筋がわりにその一節を抜粋しました。
昭和3年(1928年)に発表された、
横溝正史の初期の短篇作品です。
主な登場人物は卓蔵と折江の夫婦のみ。
ある夜を境に、
突然人が変わってしまった夫。
その訳がわからず悩み続ける妻。
いったい何が起きているのか?
読み手もまた想像しながら
読み味わう必要があります。
〔主要登場人物〕
卓蔵
…会社員。一月前に映画を観たときから
何か様子がおかしい。
折江
…卓蔵の妻。
様子が変わった卓蔵を気遣う。
※折江は卓蔵の二番目の妻。
前妻は死亡している。
本作品の味わいどころ①
映画のワンカットに卓蔵は何を見たのか
夫・卓蔵の様子が変わったのは、
ある映画を観てからなのです。
何気なく入った映画館で上映していた
「古沼の秘密」。
誰か知っている人間が
映っているわけでもなく、
筋書きは夫婦とは
まったく無縁の内容であり、
理由は明かされません。
しかし卓蔵はその一場面を観て以降、
何かに怯え、夜も悪夢にうなされ、
妻・折江にも
どこかよそよそしい態度を取るのです。
いったい卓蔵は映画のワンカットに
何を見たのか?
それを想像することこそが、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
折江の不安を軸にした心理的サスペンス
当然、妻の折江は
不安でいっぱいになります。
優しく明るかった夫が、ある晩を境に
陰鬱な表情を浮かべるように
なったのですから当然です。
しかもその変わり目に、
自分も同席していながら、
何が原因なのかまったくつかめない。
折江は疑心暗鬼になるのです。
しかしそこで何か諍いが
起きるわけではありません。
折江は貞淑で優しい妻であったため、
すべて自分で抱え込みます。
そして夫を気遣い、
そのために大きな不安に
押しつぶされてしまうのです。
本作品はこの、折江の不安を軸にした
心理的サスペンスであり、それこそが
二つめの味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
誰も気づかぬ殺人・自殺・突発死の三重奏
結論として、終末は
「殺人」「自殺」「突発死」の三重奏と
なるのです。
しかしそれはどれ一つとして
明確に説明されてはいません。
横溝がちりばめた手掛かりをもとに
想像を膨らませていくと、
そうならざるを得ないのです。
詳細は何も書かれていない。
読み手は提供された材料から、
前妻・卓蔵・折江の
三者の末路を想像する。
作中の誰もがその三つの死に
つながりがあることを知らない。
作者と読み手だけがそれを知っている。
なんとも見事な構成です。
この、誰も気づかぬ
殺人・自殺・突発死の三重奏こそ、
本作品の肝であり、最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。
さて本作品、横溝正史のいくつかの
作品集に編まれているのですが、
もともとは江戸川乱歩名で発表された
作品です。
雑誌「新青年」編集長だった
若き日の横溝は、昭和三年一月号に、
探偵作家の作品を並べるべく、
乱歩に交渉。
しかし当時スランプ状態にあった乱歩は
作品を完成させることができず、
やむなく横溝が掲載予定だった本作品を
乱歩名義で掲載することを
乱歩に承知させたという経緯なのです。
現代では大問題となりそうな、
読者に対して不誠実な行為ですが、
当時はそうした「代作」「名義貸し」が
頻繁に行われていたのです。
これも横溝・乱歩の二大巨頭の
関係を彩る一つのエピソードでしょう。
ところで「代作」は
簡単な問題ではありません。
代作であることを見破られないように、
文体や作風を極限まで
相手に近づけなければなりません。
また、書いたものが駄作であれば
相手の品格を落としめる結果となり、
かといって傑作を書いてしまえば、
それはそれで後々
禍根を残すことになりかねません。
「ちょうどいい塩梅」であることが
大切なのです。
その点、横溝は器用にこなしています。
いわれなければ気づかないほどの
乱歩的筆致と作風、
そしてほどよい作品の出来、
編集者としての腕の高さは
こうしたところにも
表れているのでしょう。
いわく付きでありながら、
味わい深い逸品です。
ぜひご賞味ください。
(2018.1.7)
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(2025.4.10)
〔「山名耕作の不思議な生活」角川文庫〕
山名耕作の不思議な生活
鈴木と河越の話
ネクタイ綺譚
夫婦書簡文
あ・てる・てえる・ふいるむ
角男
川越雄作の不思議な旅館
双生児
片腕
ある女装冒険者の話
秋の挿話
二人の未亡人
カリオストロ夫人
丹夫人の化粧台

〔「横溝正史ミステリ
短篇コレクション①」柏書房〕
恐ろしき四月馬鹿
深紅の秘密
画室の犯罪
丘の三軒家
キャン・シャック酒場
広告人形
裏切る時計
災難
赤屋敷の記録
悲しき郵便屋
飾り窓の中の恋人
犯罪を猟る男
執念
断髪流行
山名耕作の不思議な生活
鈴木と河越の話
ネクタイ綺譚
夫婦書簡文
あ・てる・てえる・ふいるむ
角男
川越雄作の不思議な旅館
双生児
片腕
ある女装冒険者の話
秋の挿話
二人の未亡人
カリオストロ夫人
丹夫人の化粧台


〔追記〕
本作品が収録されている
角川文庫「山名耕作の不思議な生活」は、
長く絶版状態が続いています。
復刊の見込みはありません。
しかし、本記事投稿直後の
2018年1月、柏書房より刊行された
「横溝正史ミステリ短篇コレクション」
第1巻に収録され、
再び陽の目を見ました。
続いて2025年3月には
東京創元社「横溝正史傑作短篇集
車井戸は何故軋る」にも
収録されました。現在は
その二冊で味わうことができます。
〔「車井戸は何故軋る」東京創元社〕
恐ろしき四月馬鹿
河獺
画室の犯罪
広告人形
裏切る時計
山名耕作の不思議な生活
あ・てる・てえる・ふいるむ
蔵の中
猫と蝋人形
妖説孔雀樹
刺青された男
車井戸は何故軋る
蝙蝠と蛞蝓
蜃気楼島の情熱
睡れる花嫁
鞄の中の女
空蟬処女



〔横溝ミステリはいかが〕


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