
消えた花嫁、見えぬ事件の背景
「黒蝶呪縛」(横溝正史)
(「完本 人形佐七捕物帳一」)
春陽堂書店
旗本・白井弁之助のもとに嫁ぐ
花嫁・お綾が忽然と消えた。
輿入れの籠の中にいたはずが、
いつのまにか漬物石と
置き換わっていたのだ。
二人はともに
美男美女であったため、
事件は瞬く間に
江戸中の評判となる。
相談を受けた佐七は…。
横溝正史の
人形佐七捕物帳第十九話です。
美男美女の若い二人。
その花嫁が消えたのですから、
そこにはよほど大きな事情が
なくてはなりません。
佐七はその謎をどう解き明かすのか?
【捕物帳〇一九「黒蝶呪縛」】
〔主要登場人物〕
白井弁之助
…旗本。前途有望な若侍。
お綾
…老舗・山吹屋の娘。弁之助に
見初められ、輿入れが決まる。
貞寿院
…かつて大奥に仕えていた権力者。
お綾が行儀見習いとして
奉公していた。
弁之助の叔母であり、弁之助から
お綾との恋の仲立ちを頼まれる。
江浪
…貞寿院に仕える老女中。
服部十太夫
…お綾の仮親となった武家。
※お綾は町人の娘であるため、
祝言を挙げるためには
武家が仮親となる必要があった。
服部武平
…十太夫の息子。
お綾に想いを寄せていた。
三蔵
…服部家お陸尺。
お綾失踪時、駕籠を担いでいた。
もと芸人・風蘿坊三蔵。刺青者。
山猫お角
…女衒。三蔵の情人。
吉助
…服部家お陸尺。
お綾失踪時、駕籠を担いでいた。
鳥越の茂平次…御用聞き。
神崎甚五郎…八丁堀の与力。
辰・豆六…佐七の乾分。
お粂…佐七の女房。元吉原の花魁。
佐七…人形佐七と呼ばれる御用聞き。
〔事件の概要〕
・祝言当日、白井家に向かう
籠の中からお綾行方不明となる。
・服部十太夫、佐七に相談。
・佐七が貞寿院から呼び出され、面会。
探さないで欲しいというお綾からの
手紙を貞寿院から見せられる。
・佐七、真相の見立てを神崎に報告。
・貞寿院屋敷で火災発生。
貞寿院・浪江死亡。同日、武平自害。
本作品の味わいどころ①
消えた花嫁、見えぬ事件の背景
花嫁失踪事件。
ミステリにはよく見られる素材です。
ホームズにもあります(「独身の貴族」)。
ありがちなのは三角関係のもつれ。
本作品では、
お綾を見初めた弁之助のほかに、
武平もまた彼女に想いを寄せています。
ただしそれで終わってしまうのは
あまりにも単純。
横溝らしさがありません。
もう一つの可能性は
弁之助との婚姻を望む別の女性がいての
嫉妬・怨恨の線。
しかしそのような女は
まったく登場しません。
しかも怨恨なら誘拐ではなく
殺害となるはず。
まったくそれらしい動機が
見当たらないのです。
この、一向に見えてこない
事件の背景を考えることこそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
事件の背景、語る売れ本草双紙
その見えない事件の背景を解き明かす
手掛かりとなるのが売れ本草双紙
「胡蝶御前化粧鏡」なのです。
醜女の姫・胡蝶御前の見初めた色若衆が
姫の腰元と結ばれる。
気持ちの収まらない胡蝶は、
自らを黒い蝶に化身させ、
二人に禍をもたらすという
筋書きの草双紙。
それが事件の背景を語っているのです。
考えてみれば、白井家も服部家も武家、
貞寿院はさらに格式の高い家柄。
町方の手に負える事件ではないのです。
佐七にとって調査可能だったのは、
お綾を乗せた駕籠の陸尺を
取り調べることくらいなのです。
佐七に真相究明の
手掛かりを与えるとすれば、
こういう方法しかないのです。
佐七とともに、
草双紙「胡蝶御前化粧鏡」から
事件の真相を類推することこそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
衝撃の決着、横溝の筋書きの妙
佐七の手の及ばない事件、
そのため佐七は自らの見解のみを
上司である神崎甚五郎に伝え、あとは
推移を見守るしかなかったのです。
しかし横溝は、
衝撃の結末を用意していました。
それについては
ぜひ読んで確かめてください。
このストーリーテラー横溝の
筋書きの妙こそ、本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。
で、すべてが明らかになると、
基本的には三角関係(いや、四角関係か)
であることがわかるのです。
少々荒技な結末なのですが、
それも含めて味わい深い作品として
仕上がっています。
ぜひご賞味ください。
(2018.1.7)
〔本作品のもう一つの「謎」〕
草双紙「胡蝶御前化粧鏡」を佐七一家が
話題にしている場面において、
次のような不可解な台詞があります。
「あの胡蝶御前化粧鏡と、きたら、
いま大人気の本や。
つまりことしのベストセラーやな」。
時代物になんと英語。
地の文ならいざしらず
会話文の中に織り込んでいることには
疑問を感じてしまいます。
本作品発表は、昭和14年の
時局が厳しくなってきたあたりであり、
この段階でこのような形であったとは
考えにくいものがあります。
昭和46年に講談社
「定本人形佐七捕物帳」に収録される際、
文章に改訂が施されていますので、
その段階で
加わったものかもしれません。
ただ、横溝自身が
うっかり入れてしまったとしても
(よほどの無能者でない限り)編集者が
気づかぬはずはありません。
冒頭の小見出しにも
「ことしのベストセラーやがな」と
置いている以上、意図的なものとも
考えることができます。
うっかりミスなのか?
ミスだとすれば
編集者すら気づかなかったのは何故か?
どの段階からのミスなのか?
意図的だとすればそれは何か?
本作品の最大の「謎」です。
〔「完本 人形佐七捕物帳一」〕
羽子板娘
謎坊主
歎きの遊女
山雀供養
山形屋騒動
非人の仇討
三本の矢
犬娘
幽霊山伏
屠蘇機嫌女夫捕物
仮面の若殿
座頭の鈴
花見の仮面
音羽の猫
二枚短冊
離魂病
名月一夜狂言
螢屋敷
黒蝶呪縛
稚児地蔵
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