「蟹」(横溝正史)

「蟹」の刺青が暗示する女の悲しい運命とは…

「蟹」(横溝正史)
(「双生児は囁く」)角川文庫

五郎が帰宅すると、
部屋には物色している女がいた。
その部屋は
友人・二宮の留守の間、
借り受けたものであり、
女は「写真」を探していた。
もみ合っているうちに
女の肩口から見えた
蟹のような刺青。五郎は
その刺青に見覚えがあった…。

横溝正史の没後十八年目に刊行された
単行本未収録作品集「双生児は囁く」。
その中に収録されている一篇です。
昭和24年に
雑誌掲載された作品であり、
戦後の横溝の作風である
おどろおどろしさの漂う短篇です。

〔主要登場人物〕
野村五郎

…上京してきたばかりの作家志望の
 青年。事件に巻き込まれる。
二宮俊吉
…五郎の幼なじみ。レコード歌手。
 地方巡演の留守中、
 部屋を五郎に貸し与える。
佐伯徹郎
…五郎の幼なじみ。画家。
 五郎を夜の街へ連れ出す。
山内総兵衛
…五郎が幼年時代を過ごした
 中国地方O町の豪商。
 使用人・蛭蔵に殺害されている。
蛭蔵
…総兵衛の使用人。低身長。
 総兵衛を殺害し、
 娘を連れて行方をくらます。
秋子
…総兵衛の娘となっているが、
 事実は総兵衛の妻に
 蛭蔵が身ごもらせた子ども。
 五郎を慕っていた。
古峰博士…外科医。

本作品の味わいどころ①
表題「蟹」が暗示する女の悲しい運命

二宮から借り受けた部屋を物色していた
謎の女の肩口に見えた蟹の刺青。
それは五郎が幼い頃に出会った、
土蔵の中に閉じ込められている少女・
秋子の肩口にあった刺青と
同じものだったのです。
謎の女は五郎を銃撃して
逃走するのですが、五郎にしてみれば、
かつて恋心を抱いた少女との
再会でもあったのです。
回復した五郎は彼女を探します。
しかしそこには
悲しい運命が横たわっていたのです。

なぜ「蟹」の刺青なのか?
なぜ少女時代に土蔵から
一歩も外へ出られなかったのか?
彼女が探していた写真は
何を写したものなのか?
悲しい運命の正体は、
それらの謎の解明とともに
明らかになってくるのです。
この、表題「蟹」が暗示する、
秋子の悲しみに満ちた運命こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
郷愁を誘う瀬戸内を舞台とした過去

戦時中、
岡山県に疎開していた横溝にとって、
瀬戸内は第二の故郷のような存在です。
本作品の舞台は東京ですが、
五郎の回想場面として、
彼が幼い頃の一時期を過ごした
瀬戸内の漁村での生活が
描かれています。
友だちのない小学校への通学が
苦痛だった彼にとって、
土蔵の窓から自分をのぞいている
少女の視線は「救い」だったのです。
土蔵の外と中に隔てられた状況での
五郎と秋子の交流。
この、瀬戸内の町を舞台とした
ノスタルジックな回想こそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

なお、本作品と同時期に書かれた
「車井戸は何故軋る」もまた
瀬戸内の山村を舞台とした
おどろおどろしい作品となっています。
岡山疎開が横溝にもたらしたものは
計り知れないくらい
大きなものであったことがわかります。
そちらもご賞味ください。

「車井戸は何故軋る」

本作品の味わいどころ③
短篇ながらも複雑で精緻な作品構成

前述した「蟹」が暗示する悲劇的な運命、
そして幼い日の瀬戸内での思い出と
事件との関連、
それだけでなく本作品には、
実にいろいろな要素が
織り込まれているのです。
中国戦線から帰還した二宮と
秋子父娘の関係、
行方不明中の秋子父娘の過去、
血塗られた因縁、
秋子が探していた
二つに切り離された写真、
根底に横たわる障害者差別等々、
戦後の横溝の充実期の作品らしい、
いくつもの素材を
寄せ木細工のように組み合わせた
仕上がりとなっているのです。
この、短篇ながらも複雑で精緻な
作品構成こそ、本作品の第三の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

結果として本作品もまた、
戦後の横溝の作風である
「おどろおどろしさ」の漂う逸品として
完成しているのです。
短篇としておくのが
もったいないくらいの濃密さです。
他のいくつかの作品のように、
時間を置いたのちに
長篇化されたとしても
不思議ではなかった作品なのです。
いや、味わいどころ①で指摘した
「蟹の暗示する悲劇」という設定を、
横溝は大いに
気に入っていたのでしょう。
晩年の傑作「悪霊島」に
流用されています。
もしかしたら本作品を
徹底的に昇華させたのが
「悪霊島」だったのかもしれません。
横溝の戦後の
ノン・シリーズ作品の傑作「蟹」を、
ぜひご賞味ください。

(2018.1.12)

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(2025.6.19)

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