「猿」(芥川龍之介)

芥川がそんな「道徳的な」作品を書くとは思えない

「猿」(芥川龍之介)
(「芥川龍之介全集1」)ちくま文庫

あんな顔を、二度と見た事はありません。
私はその表情が、私の心にある何物かを、稲妻のように、たたき壊したのを感じました。
それほど、この信号兵の顔が私に、強いシヨックを与えたのです。
貴様は何をしようとしているのだ…。

1 はじめに

芥川龍之介の初期の短篇作品です。盗みを犯した水平・奈良島を、艦内捜索で見つけ出した語り手「私」の、心情の変化を追った筋書きです。過ちを犯した奈良島に人間としての尊厳を見出し、自身の傲慢さを反省する「人間性の回復を描いた美談」(いい話)のように読めます。中学校の道徳教材に使えそうな雰囲気さえあるのです。しかし、芥川がそんな「道徳的な」作品を書くとは思えません。

〔青空文庫〕
「猿」(芥川龍之介)

2 主要登場人物

「私」…語り手。海軍候補生。
「副長」…「私」の上官将校。
牧田…「私」と同じ候補生。
奈良島…窃盗を犯した水平。

3 本作品の味わいどころについて

本作品は、善意の物語のように見えて、実は「人間の残酷さ」を静かに暴く、かなり毒の強い作品と考えられます。ただしその毒は「芋粥」や「鼻」のような露骨な皮肉ではなく、柔らかい倫理の皮をかぶったまま、じわじわ効いてくるタイプ、いわば「遅効性の猛毒」のようなものです。

本作品の味わいどころ①
猿は許されても、人間は許されない

最も分かりやすい「毒」は、作品の結びにある「猿は懲罰をゆるされても、人間はゆるされませんから」という一文に集約されています。かつて艦内で時計を盗んだ本物の「猿」は、砲術長の「可哀想だから」という個人的な同情によって、二日間の絶食という罰すら途中で免除されました。一方で、同じように「猿」と蔑まれ、女のために盗みを働いた「人間」である奈良島は、浦賀の海軍監獄に送られます。そこでは「弾丸運び」という、ドストエフスキイの「死人の家」を引いた「無用で、人を自殺に追い込むほど過酷な刑罰」を、黙々と受け続けなければならないのです。

動物は人間の気まぐれな同情で許されるのに、人間が作った厳格な組織や法の中では、人間は一切許されず破滅へと追い込まれていく。この人間社会のシステムの冷酷さと不条理に対する強い皮肉が、この結びには込められていると考えられます。

本作品の味わいどころ②
「私」の「良心」に潜む偽善と自己満足

語り手「私」は、奈良島を追い詰める際、最初は「獲物を見つけた猟師」や「猟犬」のような「愉快な昂奮」を抱いて、踊り狂うように飛びかかっています。しかし奈良島の「悪魔でも泣くような表情」と「面目ございませんという言葉」に接した瞬間に、急激に感傷的になるのです。以後、「私」は奈良島の「同情者」として語っているのです。

しかし「私」は、直接的ではないにせよ、「構造的な加害者」の立場に立っていることを見逃してはいけないと考えます。

大前提として、当時の日本海軍における「候補生」(近い将来、将校の身分が保障されている)と「水兵・信号兵」の間には、埋めようのない絶対的な階級の壁がありました。「私」自身、作中で水兵との間には「軍人になつて見なければ、わからない程、厳として」上下の区別があると述べており、それが自分たちの「非常な強み」であると自覚しています。「私」は奈良島を捕まえる際、彼が反抗してこないことを確信した上で「殆、踴躍つて、艙口を駈け下り」たのです。この「絶対に反撃されない安全な立場から、弱者をハントする快感」に身を委ねている時点で、「私」は軍隊という巨大な暴力装置・階級制度の恩恵をフルに受け、それを執行している「構造の側」の人間、すなわち加害者なのです。

「私」は奈良島の絶望的な表情を見て衝撃を受け、自責の念に駆られますが、そこから始まる「私」の行動は、構造的加害者がよく陥る「良心的な自己満足」の典型です。親友の牧田に対して「奈良島は人間だ。猿じゃあない」と突っぱねる、禁錮室の近くを通るときに足音を忍ばせる、これらの行動は一見、奈良島への配慮に見えますが、現実には何の影響も与えません。奈良島は予定通り翌日には過酷な監獄へと護送され、「私」は何のペナルティも受けずに遠洋航海を終えて出世していくのです。

足音を消すという行為は、奈良島のためというよりは、「私は彼を猿扱いする周囲の奴らとは違う、良識ある人間だ」という免罪符を得るための行為に過ぎません。構造の中に安住したまま、内面だけで「かわいそうに」と同情することは、結果的に自らの加害性を覆い隠し、構造を温存させる加担行為になっているといえるのです。

自分の良心を慰めるための感傷に浸っている「私」の姿そのものに、芥川は「無意識のエゴイズム」という「毒」を忍び込ませたのです。

本作品の味わいどころ③
奈良島の「涙」、副長の「狼狽」の意味

「その時の私の心もちは、奈良島と一しよに「面目ございません」と云いながら、私たちより大きい、何物かの前に首をさげたかったのです」。その一節から、「私」と奈良島が心を通わせたように錯覚させられます。しかし奈良島の「涙ぐんでいる眼」は、「人間であることへの苦痛・絶望感」であり、そこに決して明るい救済はないのです。

また、物語の終盤、「私」はかつて軽蔑していた「副長」の狼狽ぶりを振り返り、「副長だけは、同じ人間らしい同情を持っていたのだ」と美化して頭を下げます。しかし、軍隊という組織において、艦内で部下が自殺する事案は、「副長」にとって「自身の管理責任」や「軍歴・出世」に直結する大問題です。副長が顔色を変えて慌てふためいた本当の理由は、人間らしい同情などではなく、単なる「保身」や「体面」のためであった可能性の方が高いのです。

それらを「人間らしさ」と解釈してしまう「私」の、「世間知らずな安直さ」をあえてそのまま描くことで、読み手に軍隊という組織の冷徹な現実を突きつける「毒」になっているのです。

4 おわりに

作品の持つ「裏の構造」や芥川の仕込んだ「毒」が見えてくると、教科書的な美談とはまったく異なる、ヒリヒリとした凄みが立ち上がってきます。語り手「私」が抱く、一見すると誠実で美しい「良心の痛責」すらも、圧倒的な階層社会の安全圏にいるからこそできる「特権的な感傷」に過ぎない…、そう気づいた瞬間、読み手である私たち自身もまた、安全な場所から他者の悲劇を消費する「構造的加害者」の一員として、芥川の冷たい眼差しに射抜かれているような感覚を覚えます。

ただの「いい話」で終わらせず、その奥にある人間のエゴイズムや社会の不条理を鋭く抉り出すのが、やはり芥川龍之介という作家の恐ろしさであり、魅力であると感じます。ぜひご賞味ください。

(2018.1.16)

〔「芥川龍之介全集1」ちくま文庫〕
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 解説 芥川文学の魅力 中村真一郎

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