「芋粥」(芥川龍之介)

「今昔物語集」を超えて、芥川の描こうとしたもの

「芋粥」(芥川龍之介)
(「羅生門・鼻」)新潮文庫
(「芥川龍之介全集1」)ちくま文庫

元慶の末か、仁和の始に
あった話であろう。
どちらにしても時代はさして、
この話に大事な役を、
勤めていない。
読者はただ、平安朝と云う、
遠い昔が
背景になっていると云う事を、
知ってさえいてくれれば、
よいのである。
その頃…。

〔はじめに〕
「今昔物語集」の一話に題材をとり、
「鼻」と並ぶ古典翻案ものの一つと
位置づけられる、
芥川龍之介の代表作「芋粥」。
「今昔物語集」では藤原利仁の
圧倒的強者の富の大きさに
焦点を当てていたのに対し、
芥川はそのカメラのレンズを
完全に「五位」の内面へと移動させ、
彼の「惨めさ」をこれでもかと
クローズアップして映し出しました。
では、芥川は
作中の侍たちや童たちのように、
彼をいじめただけだったのか?
それを考えることが、
本作品の味わいどころへと
つながっていくものと考えます。

〔主要登場人物〕
五位

…位階五位(昇殿を許された者の
 最下位の位)の人物。
 名前は記されない。
藤原利仁
…五位に芋粥を馳走する人物。

〔原点と芥川版との違い〕
原話では、焦点は明らかに藤原利仁の
経済力・豪奢さ・武名にあります。
敦賀の屋敷の壮麗さ、供人の多さ、
芋粥を大釜で煮るほどの財力、
それらは利仁の若いながらも
豪胆さのある人物像としての
エピソードとして語られます。
つまり、
原典は「豪族の力」を示す説話であり、
五位はその対照として置かれた
脇役にすぎないのです。

芥川はそうした原典の形を
ほぼ踏襲しながら、
視点の中心を五位に移すという
大胆な改変をしています。
五位の長年の願望、芋粥への執着、
叶った瞬間に訪れる虚しさ、
そしてその後の
「もう芋粥は見たくもない」という
心情の変化、
そうした心理の揺れこそが、
芥川の物語の核となっているのです。

〔本作品の味わいどころについて〕
本作品の味わいどころ①
「人間の心理の小ささ」の拡大表示

芥川はまず、
人間が持つ「執着の小ささ」を客観的、
あるいはやや冷徹に暴き出しています。
五位の生きがいは、
「いつか芋粥を飽きるほど食べてみたい」
という、およそ貴族としては小さく、
俗っぽい欲望でした。
しかし、利仁によってそれが簡単に、
しかも大量に叶えられる現実を
目の前にしたとき、五位は食欲を失い、
激しい幻滅と嫌悪感に襲われます。

人間は、実現するかどうか分からない
「夢」を追いかけている間が
一番幸福であり、
それが叶ってしまった途端に熱を失い、
むしろ不幸になる。
これは人間の普遍的な弱さであり、
芥川が得意とした
「人間の心理の滑稽さや小ささ」を
アイロニカルに描いた材料であることは
間違いありません。

本作品の味わいどころ②
「夢に余白を残した」ことの美しさ

しかし、物語の結末で、
五位は芋粥をほとんど食べないまま、
鼻をすすって敦賀の空を眺めます。
そのときの彼の心境は、
単なる落胆ではありません。
五位は、あえて芋粥を残し、
「食べ尽くさなかった」、
つまり「夢の余白を残した」ことで、
自分の内なる聖域(憧れ)を
辛うじて守り抜いたのです。

芥川は、京都で誰からも見下され、
犬にさえ馬鹿にされていた五位が、
その惨めな人生を
耐え抜くことができたのは、
「芋粥への憧れ」という、
他者には不可侵の精神的支柱が
あったからだと書いています。
すべてを強者の論理で
コントロールしようとする利仁の前で、
五位が最後に「自分の夢(芋粥)は、
こんな風に消費されるものでは
なかった」と気づき、
心の中で夢を元の美しい形に
戻そうとする姿には、
一種の精神的な気高さが漂います。

本作品の味わいどころ③
「小さき者」に対する同情と憐れみ

芥川の初期作品には、
人間のエゴイズムを暴くだけでなく、
その小ささゆえに苦悩する人間への
「悲憫」の情が深く流れています。

利仁のような完璧な強者には、
五位の繊細な傷つきやすさは
理解できません。
芥川は、利仁の豪快な豊かさを
手放しで称賛する
「今昔物語」の価値観をひっくり返し、
「惨めで、小さく、不器用な人間にしか
宿らない、ロマンティシズムの尊さ」を
描こうとしました。
利仁の側から見れば
五位は「小さく滑稽な人間」ですが、
芥川の視点は、その小ささの中にこそ
人間性の真実(美しさ)がある、と
肯定しているように思えます。

〔おわりに〕
芥川は五位を単なる「嘲笑されるべき
愚者」としては描いていません。
むしろ、現代に生きる私たちにも通じる
「夢と現実のギャップに悩む凡人」の
代表として、
深い共感と温かい眼差しを持って、
その複雑な心理を描き切ったと
いえるのではないでしょうか。
ニヒルでシニカルな芥川ですが、
その奥底には人間をじっくり観察し、
その本質と美しさを見いだそうという
眼があることを信じたいと思います。
ぜひご賞味ください。

(2018.1.16)

〔青空文庫〕
「芋粥」(芥川龍之介)

〔「羅生門・鼻」新潮文庫〕
羅生門

芋粥

袈裟と盛遠
邪宗門
好色
俊寛

〔「芥川龍之介全集1」ちくま文庫〕
老年
青年と死
ひょっとこ
仙人
羅生門

孤独地獄


酒虫
野呂松人形
芋粥

手巾
煙草と悪魔
煙管
MENSURA ZOILI

尾形了斎覚え書
道祖問答
忠義

世之助の話
偸盗
さまよえる猶太人
二つの手紙
 解説 芥川文学の魅力 中村真一郎

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「俊寛」

〔新潮文庫の芥川龍之介〕

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