
自己批判、空想癖、そして開き直り
「厭世家の誕生日」(佐藤春夫)
(「厭世家の誕生日 他六篇」)岩波文庫
「現代文士録」を
見たことのある人は或は
知つて居られるであらうが、
私の誕生日は四月九日である。
この世のなかへ
生れて来るといふことが
皆のいふとほり果してそんなに
有難いことだかどうだか
私はそれをよく知らない。
私も時時…。
佐藤春夫の作品は、純文学あり、
ミステリあり、幻想怪奇小説あり、
SFあり、と何でもありの作風です。
この「厭世家の誕生日」という作品は、
そのどれにも
当てはまりそうにありません。
作中の「私」は間違いなく
佐藤春夫自身です
(誕生日が佐藤と同一)。
それでいて随筆ではなく、
私小説でもなさそうです(佐藤は
私小説作家とは見られていない)。
カテゴライズの難しい作品ですが、
それだけに噛みしめると
深い味わいが滲み出てきます。
〔主要登場人物〕
「私」
…語り手。文士(恐らく佐藤春夫自身)。
厭世家。
「彼」
…「私」の友人。しばらく会っていない。
画家。
本作品、筋書きと呼べるようなものは
ありません。
軸となっているのは
「私」が自らの誕生日を祝うために
買い物に出かけるというものです。
その前半は、展覧会での
絵画購入を諦めたいきさつについて、
そして後半は「どうでもいい物」を
買ってしまった顛末について
書かれてあるのです。
本作品の味わいどころ①
絵画談義から見る自己批判
本作品の前半部分は、
展覧会における友人の画家「彼」との
絵画談義です。
「私」はラプラアドの
「ユー島」という作品を購入したいと
打ち明けるのですが、
「彼」は反対します。
その理由は、「これや君、
そつくり君の世界ぢゃないか」。
その上で
ヴラマンクやフランドランの絵を
薦めるのです。
つまり「彼」の見解としては、
ラプラアドの作風は
「私」の文学的傾向と酷似していて
やめるべき、その対極にある
ヴラマンクやフランドランの絵こそ
購入すべき、ということになるのです。
ここで登場する三人は、
実在する近代フランスの画家たちです。
確かにラプラアド
(現在の表記としてはラプラード)は、
輪郭線が曖昧で、
淡い色彩が溶け合うような
詩的な情緒が特徴です。
これは佐藤春夫の文学、
特に初期の憂鬱で繊細な情緒と
共鳴しそうです。
それに対してヴラマンクは、
チューブから出したままの絵具を
叩きつけるような激しい筆致と
燃えるような色彩が特徴の、
生のエネルギーが充溢した画風です。
もう一人のフランドランは、
冷徹なまでの形式美と秩序の中に
自分を置くスタイルです。
無駄のない厳格なデッサン、
理性的でストイックな構成、
そして格調高い精神性が
持ち味となっています。
「彼」の言い分は、
「ラプラアドのような
曖昧で穏やかな作風ではなく、
ヴラマンクのような激しさや
フランドランのような厳格さを
持つべきだ」ということになるのです。
それは「彼」の口から
言わせているものの、もしかしたら
佐藤自身の「考え」もしくは
「願い」である可能性があります。
つまり「彼」との談義そのものは、
自身の願望を婉曲に表現するための
「創作」である可能性が
考えられるのです。
それは言い換えれば
穏やかな自己批判ということに
なりそうです。
本作品の味わいどころ②
買い物場面に見える空想癖
後半部は、夜の商店街を
歩きまわっての買い物場面です。
絵画購入を諦めた「私」は、
一年前に購入を諦めていた
スネークウッドのステッキを買おうと
思い立ったのです。
しかしすでにそのステッキは
売り切れていたため、
それよりも格段に安いステッキで
間に合わせるのです。
前半の絵画談義同様、それ自体は
小説の筋になりそうにもありません。
ところがその端々に、
佐藤得意の「空想」が現れるのです。
ラプラアドの「ユー島」や
スネークウッドのステッキなど、
自分の欲しいものすべてが集まっている
「家」を、「私」は空想するのです。
「私の今までの生涯のうちで、
欲しいと思つて得なかつたもの、
書きたいと思つて書けなかつたもの、
別れたくないのに
別れなければならなかつた人、
そんなものが何處か、
私のさういふものばかりが
すつかりそこに一つ殘らず具つて
殘つてゐるのではないだらうか」。
まるで「西班牙犬の家」や
「美しき町」にも通じる
幻想的感覚が見られるとともに、
そこにも佐藤の切なる「願い」が
見え隠れしています。
本作品の味わいどころ③
自分を受け入れる開き直り
つまり、まったく小説の体を
なしていない作品でありながら、
佐藤の「自分を変えたい」という
切実な願望が
そこに表れていると考えられるのです。
しかし最後は割り切って
開き直っています。
「仕事は出鱈目ぢや。
金は無駄づかひぢや。
安つぽい象牙の塔ぢや。
命の堂々めぐりぢや。」
これらはすべて「彼」
に指摘(というよりも卑下)された
「私」の作風および性格です。
そこにはあるがままの自分を
受け入れるという
「境地」に達した心情が表れています。
それこそが自身への最高の
「誕生祝い」と考えられます。
これだけ素敵な作品を書き上げた
佐藤春夫ですが、
現在はほとんど忘れ去られています。
佐藤春夫が再評価される日が来ることを
願っています。

(2018.1.20)
〔「厭世家の誕生日 他六篇」岩波文庫〕
はしがき
西班牙犬の家
お絹とその兄弟
一夜の宿
星
旅びと
侘しすぎる
厭世家の誕生日
〔関連記事:佐藤春夫の作品〕
「美しい町」
「霧社」
「旅びと」
「蝗の大旅行」
「他界へのハガキ」
「帰去来」

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