「九時の女」(横溝正史)

主客転倒!九時の女と探偵作家

「九時の女」(横溝正史)
(「殺人暦」)角川文庫
(「横溝正史ミステリ
  短篇コレクション⑤」)柏書房

実家の破産の危機に瀕していた
探偵作家・寒川のもとに
かかってきた電話。
それは「九時の女」と呼ばれている
謎の女性からだった。
彼女はある依頼を
引き受けてくれれば
その借金を肩代わりするという。
寒川はその依頼を
引き受けるが…。

横溝正史が昭和8年(1933年)に
発表した短篇作品です。
大金と引き換えの「依頼」です。
まともなはずはありません。
案の定、探偵作家・寒川譲次は
事件に巻き込まれていきます。
「依頼」は「侵入して
赤いショールを持ってくる」こと。
指示された屋敷に入ってみると…、
予想どおり死体が転がっていたのです。

〔主要登場人物〕
寒川譲次

…売り出し始めた探偵作家。
 実家が破産の危機に陥っている。
大江珠実
…通称「九時の女」。寒川に資金援助と
 引き換えに仕事を依頼する。
河合卓也
…市議会議員。漁色家として有名。
 殺害される。
松村蓉子
…河合の愛妾的存在。
大江雷蔵
…珠実の父親。故人。
 自殺に追い込まれている。
大江俊作
…珠実の弟。河合卓也殺しの
 容疑者として拘束される。
宇津木検事
…河合卓也殺しの担当検事。
 譲次とは同郷。

〔事件の概要〕
①深夜、珠実、譲次に電話。
・依頼内容は河合卓也邸応接間から
 赤いショールを持ってくること。
②譲次、河合邸に侵入。
・応接間には男の死体あり。
・死体は顔が焼けただれている。
・ショールは赤ではなく黄色だった。
・穰治、黄色のショールを持ち帰り、
 珠実に引き渡す。
③珠実、再度譲次と会談。
・弟・俊作が容疑者として逮捕。
・黄色いショールは松村蓉子のもの。
④譲次、宇津木検事と現場検証へ。
⑤河合邸で火災発生。
・もう一つの死体発見。
・真犯人逮捕、事件解決。

本作品の味わいどころ①
妖しい魅力の「九時の女」

譲次の行きつけのダンス・ホールに
現れる正体不明の女性「九時の女」。
どのようなダンスも
鮮やかに踊ってのける
「すらりと背の高い、
太陽に燃えあがった緋ダリヤのように
美しい女」。
なんとも妖しい存在です。
しかしその正体は誰も知らず、
なぜか九時には必ず引き上げる
ところからその名のついた「九時の女」。
なんとも怪しい存在です。
そのような女性から、
深夜十二時過ぎに
かかってくる電話です。
なんともミステリアスです。

「九時の女」は、
譲次の実家の借金の事情や
その金額まで知っています。
それどころか譲次の直近の行動まで
把握しているのです。
怪しい匂いが
プンプンしているにもかかわらず、
穰治は引き受けざるを得ない
状況となっているのです。
冒頭段階におけるこの「九時の女」は、
すべてを知り尽くし、
周到に網を張り、
譲次を絡め取ろうとしている
「悪の首謀者」のような印象を受けます。
この、
妖しい魅力の「九時の女」の存在こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
徐々に力を発揮する作家

逆に、お金ほしさに
否応なく巻き込まれてしまう
探偵作家・寒川譲次。
闇バイトに引っかかる
現代の若者と同じです。
指示された屋敷に赴くと、
当然のように
死体が横たわっているのです。

しかし彼が事件の容疑者として
警察に逮捕されるといった、
「ありがちな展開」にはなりません。
捕らえられるのは
「九時の女」の弟なのです。
ここから「九時の女」は
か弱い女性・大江珠実となり、
情けない探偵作家は
事件の謎を解く「名探偵」へと昇格、
主客転倒となるのです。

終盤では次々に
謎を解明していくのですが、
世にあまたある名探偵とは異なります。
「ああ、だんだんわかってきたぞ」
「しゃべっているうちに
なにもかもわかりそうな気がします」と、
頭脳が冴えるまで
やや時間がかかるのです。
本作品の数年後に登場する
由利麟太郞の超人的推理とは
色合いが違うのです。
この、徐々に力を発揮する作家探偵・
寒川譲次のキャラクターこそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
どことなくルブランぽさ

一通り読み終えると、
その筋書きやトリックに、
どことなくルブランの作品の影が
見えてきます。
「九時の女」の抱えた事情、
つまり政治家である父親が
恐喝によって自死し、
その敵を討つために
秘密書類の奪還を画策する娘という
設定は、
「水晶栓」におけるメイジーと
似ています(ただしメイジーは
代議士の妻)。
その秘密文書のありかも
「赤い絹の肩かけ」とそっくりです
(絹の肩掛け=ショール)。
何よりも探偵作家・寒川譲次の
立ち位置も、
怪盗でありながら名探偵の役割もこなす
ルパンと重なる部分が大きいのです。

本作品のみならず、
のちの横溝作品においても
ルブラン的なエッセンスが深く
組み込まれているものが多いのです。
横溝がモーリス・ルブランから
強い影響を受けていたことは、
日本のミステリ史においても
有名な事実です。
この、どことなく感じられる
ルブランぽさこそ、本作品の第三の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

初期作品ですから、
もちろん首をかしげざるを得ない部分も
生じています。
「九時の女」は万全の下準備をして
譲次に接触したように
読み取れるのですが、
中盤の告白を聞くかぎりは、
自らの計画に
イレギュラーが生じたための
窮余の策だったことがわかり、
どうしても違和感が残ります。
また、警察が現場検証を
しているにもかかわらず
真犯人が隠し部屋に潜んでいることが
できているのも疑問です。
そうした設定の甘さは見られるものの、
それを補ってあまりある魅力に
満ちているのです。
ケチをつけるよりも
作品を楽しんだ方が得というものです。
横溝のあまり知られていない初期作品を
ぜひじっくりとご賞味ください。

(2018.1.22)

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