
見栄と孤独、そして「わからなさ」を愛でる旅
「革トランク」(宮沢賢治)
(「宮沢賢治全集6」)ちくま文庫
(「百年文庫062 嘘」)ポプラ社
斉藤平太は、その春、楢岡の町に出て、中学校と農学校、工学校の入学試験を受けました。
三つとも駄目だと思ってゐましたら、どうしたわけか、まぐれあたりのやうに工学校だけ及第しました。
一年と二年とはどうやら無事で、…。
1 はじめに
宮沢賢治という作家を語るとき、私たちはしばしば、その「聖人性」のヴェールに目を奪われがちです。「銀河鉄道の夜」の自己犠牲や、「雨ニモマケズ」の無私無欲な祈り。しかし、賢治の文学の真骨頂は、そうした光の側面と同じほど深く、人間の「滑稽さ」や「虚栄心」、そしてどうしようもない「見栄」を冷徹かつ慈しみ深く見つめる眼差しにあります。今回取り上げる「革トランク」という小品は、まさにその「人間臭い賢治」を最も鮮やかに堪能できる一編です。
〔青空文庫〕
「革トランク」(宮沢賢治)
物語は、都会に出て何者かになろうとし、挫折しながらも故郷に対して成功を装おうとする青年・斉藤平太の姿を描き出します。ここには、百年前の物語とは思えないほど切実な、現代人の自尊心と現実のギャップが横たわっています。聖人としての賢治像を一度脇に置き、私たちはこの物語を通じて、自分の中にも確実に潜んでいる「平太」を見つける旅に出ることになります。それは、自らの不器用さや空虚さを認め、その歪ささえも愛おしむための、知的な冒険の始まりです。賢治が仕掛けた独特なユーモアと、その背後に隠された「救い」の構造を、じっくりと紐解いていきましょう。
2 本作品の味わいどころについて
本作品の味わいどころ①
リフレインされる「まれです」の魔力
「革トランク」を読み進める読者が、まず戸惑い、やがて抗い難い可笑しみに包まれるのは、作中に頻出する奇妙なフレーズのせいです。「(こんなことは実にまれです。)」という、語り手によるあざといまでの注釈。この言葉は、物語のトーンを決定づける極上のブラック・ユーモアとして機能しています。
作中にはこのフレーズが、表記を変えながら執拗に繰り返されます。算盤の苦手な教師の勘定間違いによって工学校を及第・卒業できた際、看板を出すなり二つの大仕事が舞い込んだ際、大工たちが不自然な挙動を見せる際、平太が機能性よりも「同時完成」という見栄えを優先した際、そして決定的な失敗である「廊下がない」事態や「梯子がない」事態に直面した際……。ここで注目すべきは、賢治が「まれ」「稀」「稀れ」という漢字表記を意図的に揺らしている点です。この表記の揺らぎは、文章に音楽的なリズムを与えるだけでなく、語り手の認識そのものが「揺らいでいる」ことを示唆しています。
語り手が「滅多にない珍しいことです」と澄ました顔で言い張る事象は、客観的に見れば、すべて平太の実力不足や虚栄心が生んだ「必然」の産物でしかありません。必然の大失策をあえて「まれな偶然」と言い換える白々しさが、平太の滑稽さを残酷なまでに際立たせるのです。
この反復は、賢治が後に提唱する「心象スケッチ」の思想とも深く繋がっています。世界は固定されたものではなく、観察者の心境によって揺らぎ、変化する。語り手が「まれ」と注釈を入れずにはいられないほど、平太の周囲の世界は、彼の歪んだ自意識に呼応して「ざわついて」いるのです。この異化効果により、読者は平太の悲劇を一歩引いたメタ的な視点から、まるで「珍しい生態を観察する寓話」のように眺めることになります。
本作品の味わいどころ②
革トランクが象徴する現代的な孤独
物語の後半、東京へ逃げ出した平太が、母の危篤を知らせる電報を受けて帰郷する場面で、本作の象徴たる「二十円の大きな大きな革のトランク」が登場します。入れるべき荷物は何一つなく、中身は親方から譲り受けた無価値な絵図面三十枚。それをパンパンに詰め込んだトランクを携えて、彼は故郷の土を踏みます。
この巨大なトランクは、単なる見栄の道具ではありません。それは、何者にもなれなかった自分、挫折した自分を隠すための「鎧」であり、父や郷里の視線という恐怖から身を守るための「防御装置」です。トランクの「中身の空虚さ」は平太の東京生活の虚無感を映し出し、その「重さと大きさ」は彼が背負う心理的重圧を象徴しています。
しかし、ここで見落としてはならないのは、彼がこのトランクを買った動機に、母への「最後の贈り物」という側面が含まれている点です。死にゆく母に、せめて「都会で立派になった自分」を見せて安心させたい。その切実な親孝行の願いが、不器用な彼を「空っぽの巨大な箱」の購入へと駆り立てました。自分を偽装しないと壊れてしまうほどの不安と、母を愛したいという純粋な願い。この二つが複雑に絡み合ったトランクは、もはや単なる「鞄」(Trunk)ではなく、平太の絶望と希望を閉じ込めた「棺」(Truhe)のような重みを放っています。
この痛々しいまでの虚勢は、現代のSNS社会において、加工された写真や華やかな肩書きという「外皮」で自らを飾り立て、内面の空虚さに怯える私たちの姿と驚くほど重なります。平太の抱えるトランクは、私たちの心の奥底にある「誰かに認められたい」という悲鳴そのものなのです。
本作品の味わいどころ③
失敗したエリートが見せた人間臭さ
斉藤平太という造形は、宮沢賢治自身の強烈なセルフパロディ(自己諷刺)として解読することができます。賢治自身、盛岡高等農林学校を卒業しながらも、実業家として成功していた父・政次郎の期待に応えられず、悶々とした青年期を過ごしました。上京と挫折、そして父との間に流れる、言葉にならない緊張関係。平太が東京から送った「エレベータとエスカレータの研究をしている」という虚偽の葉書や、それに対して「返事も出させなかった」父の冷徹な反応は、賢治の実体験に基づく生々しい痛みの変奏です。
平太の東京生活は過酷を極めました。残金六銭で豆腐を啜り、撒水夫として道に水を撒き、挙句の果てには脚気や感冒に蝕まれる。そんな惨めな現実を隠し、「紙幣は障子を張るほどある」と強がる平太の姿に、賢治はかつての自分の「若さゆえの虚栄心」を投影しています。彼は、自らの醜さや無力さを客観視し、痛烈に自嘲することで、物語に奥行きを与えました。しかし、この自嘲は決して冷酷な突き放しではありません。賢治は平太の失敗を笑い飛ばしながらも、その背後にある「愛されることを願う孤独」を誰よりも深く理解していました。自尊心の肥大がもたらす喜劇を、自らの血を流しながら描く。この誠実な自己解体こそが、読者が平太というキャラクターに思わず共感し、愛おしさを覚えてしまう理由にほかなりません。
3 宮沢賢治作品の味わい方
~「わからなさ」という豊かさ
賢治の作品に触れる際、多くの人が「わからなさ」という壁に突き当たります。「革トランク」でも、なぜ大工たちが上下の交通を嫌うのか、なぜ語り手は執拗に注釈を入れるのか、論理的な正解を求めても霧の中に迷い込むだけです。しかし、この「わからなさ」こそが、賢治文学の最も豊かな成分なのです。
賢治文学を鑑賞する上で、私たちは「解読」ではなく「体験」へと舵を切る必要があります。彼の言葉は、パズルのピースのように意味を固定するためのものではなく、心象に映った音、光、リズムをそのまま浴びるための装置です。賢治は自らの文学を「心象スケッチ」と呼びました。あの有名な
「わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です」
という一節にあるように、彼にとって世界は固定された静止画ではなく、絶えず変化し、揺れ動く「現象」の連なりです。したがって、私たちが賢治作品を読む際に持つべき姿勢は、以下の点に集約されます。
①意味を急いで確定させない
意味を求めるよりも、言葉が作るリズムやイメージの連なりを、現象としてそのまま受け取ってください。
②「わからなさ」を保持する
腑に落ちない展開や不可解な比喩を、欠点ではなく、世界が本来持っている「複雑さ」への誠実な描写として楽しんでください。
③語り手の揺らぎを追う
「革トランク」における注釈のように、不安定な認識そのものを「文学的手触り」として感受してください。
「説明できない世界を説明しようとする努力」そのものを文学に昇華した賢治の態度は、この世界の複雑さに対する一つの深い誠実さでもあります。正解を探すのをやめたとき、賢治の遺した「心象」と私たちの心は、ようやく正しく通信を開始できるのです。
4 おわりに:空っぽのトランクを抱えた帰郷
物語の終盤、平太はついに故郷の川岸に立ちます。夕闇が迫り、雲が縞をつくって流れ、水面は水銀のように静かに光っています。そこで彼を待ち受けていたのは、彼の虚栄心を剥ぎ取るような、しかし残酷なほどに無垢な周囲の視線でした。「牛の革だんぞ」と無邪気に囃し立てる子どもたちの声。トランクの締金を見て「牛の膝かぶの皮だ」と笑う子どもたちの前で、平太は何とも言えず悲しく、泣きそうになります。しかし、その時、船頭が夕日の光を避けるようにして叫びます。「おゝ平太さん。待ぢでだあす」。この一言に、どれほどの救いがあったことでしょうか。
家に着くと、下男がその重いトランクを、まるで気が立ったように、しかし当たり前のように背負ってくれます。そして、役場から帰ってきた父。父はその大きなトランクを見て「にが笑ひ」を浮かべます。この苦笑いは、決して息子への拒絶ではありません。息子の空っぽな虚栄心、不器用な嘘、そしてそれを含めた「斉藤平太という人間」のすべてを見抜き、赦し、再び迎え入れた瞬間の、父としての深い愛情の露呈です。
平太が抱えていた「空っぽのトランク」。それは、現代を生きる私たちの誰もが、心のどこかに持っている重荷です。何者かにならなければならないという焦燥、成功していると思われたい虚栄心。しかし賢治は、その空っぽさを笑い飛ばしながらも、最後には彼を風景の中に、家族の温もりの中に、優しく溶け込ませました。「空っぽ」であっても、私たちはこの鮮やかな世界を歩んでいける。賢治が遺したこの物語は、自分の不甲斐なさに怯えるすべての人々への、時を超えた力強いエールです。私たちは、自分自身の「空っぽなトランク」を恐れる必要はありません。その虚しささえもが一つの光となり、賢治の描く広大な宇宙の一部として、今日も静かに輝いているのです。
(2018.6.2)
〔「宮沢賢治全集6」ちくま文庫〕
革トランク
おきなぐさ
黄いろのトマト
チュウリップの幻術
化物丁場
ビヂテリアン大祭
土神ときつね
林の底
マグノリアの木
インドラの網
雁の童子
三人兄弟の医者と北守将軍
学者アラムハラドの見た着物
ガドルフの百合
楢ノ木大学士の野宿
葡萄水
みじかい木ぺん
バキチの仕事
サガレンと八月
台川
イーハトーボ農学校の春
イギリス海岸
耕耘部の時計
さいかち淵
タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった
黒ぶだう
車
氷と後光
四又の百合
虔十公園林
祭の晩
紫紺染について
毒もみのすきな署長さん
異稿
チュウリップの幻術〔先駆形〕
ビヂテリアン大祭〔改稿形〕
三人兄弟の医者と北守将軍〔初期形〕
楢ノ木大学士の野宿〔先駆形〕
後記(天沢退二郎)
〔「百年文庫062 嘘」ポプラ社〕
革トランク
ガドルフの百合 宮沢賢治
嘘
狐の子供 与謝野晶子
ある孤独な魂
せまい檻
沼のほとり
魚の悲しみ エロシェンコ
〔宮沢賢治の本はいかがですか〕
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