全てのことが「上」「下」で対比される構造
「変な音」(夏目漱石)
(「文鳥・夢十夜」)新潮文庫
入院中の「自分」は
隣室から聞こえる
大根をするような「変な音」が
気になって仕方がない。
三ヶ月後に再入院した「自分」は、
看護婦から
「変な音」について尋ねられる。
あのとき隣人もまた
私の部屋の音を
気に掛けていたのだという…。
2度にわたる入院時の
「変な音」にかかわる顛末を素材にした、
文庫本にしてわずか8ページの本作品。
短いながらも「上」「下」に
分かれています。
「上」は最初の入院、
「下」はその三ヶ月後の
再入院のときなのですが、
この「上」「下」構造が
本作品の面白いところです。
まず、「自分」の病状は明らかに
再入院時には重くなっています
(後半は快方に向かいますが)。
「上」の「自分」が
隣室の音を気にしたのは、
病状が軽かったためでしょう。
「下」ではむしろ
自身の病だけに神経が向いています。
「自分はその後受けた
身体の変化のあまり劇しいのと、
その劇しさが頭に映って、
この間からの
過去の影に与えられた動揺が、
絶えず現在に向って波紋を伝える」。
「上」では
「自分」に関わる人間のことについては
一切書かれていません。
病を得たことにより
孤独になった「自分」の姿を
暗示しています。
一方、「下」の快方に向かってからは
看護婦との語らいが
明るく描かれています。
それは退院後の
社会生活への復帰を予感させます。
会話文の有無だけで
受ける印象がまったく異なります。
その看護婦も「上」「下」それぞれに
登場(同一人物)するのですが、
「上」では隣室で
小さな声を発する様子だけが描かれ、
「下」では「自分」と会話を弾ませます。
さらにはこの看護婦とのやり取りが
冒頭の「変な音」の
謎の解明へとつながるのです。
隣人は「変な音」で「自分」を焦らし、
「自分」は隣人を音で羨ましがらせる。
隣人はその後亡くなり、
「自分」は今快方に向かっている。
全てのことが
「上」「下」で対比される
構造となっているのです。
本作品が書かれたのは1911年。
作者・漱石が
「修善寺の大患」と呼ばれる
生死の境をさまようような大病を
克服した翌年にあたります。
本作品の「上」「下」対比構造は、
病の前後において漱石の思考が
大きく変化したのを
体現しているかのようです。
見過ごされがちな漱石の掌編作品。
味わい深いものがあります。
(2018.8.4)
【青空文庫】
「変な音」(夏目漱石)