「菜穂子」(堀辰雄)①

感動的なやりとりがあるわけではありません

「菜穂子」(堀辰雄)
(「菜穂子・楡の家」)新潮文庫

幼なじみの菜穂子と明は、
雑踏の中で
お互いを偶然見かけあう。
明の目に映った菜穂子の姿は、
空虚な眼差しで
幸福そうには見えなかった。
菜穂子は嫁いだ先の
暮らしの雰囲気に合わずに疲れ、
憔悴していたのだ…。

明の姿を見かけて以後、
失われた昔の郷愁が募った菜穂子は、
この結婚の後悔の意識に
はっきり気づくのです。
そんなある日、
菜穂子は喀血をします。
時代は昭和6年。この時代はやはり
女性の立場が弱かったのです。
そして結婚というもの自体が
現代とはまったく異なっていたのです。

菜穂子は圭介と結婚したものの、
彼は極度のマザコンでした
(そんな言葉は当時は
なかったのでしょうが)。
圭介は父を早くに亡くしたため、
母と子一人。
だから結婚後も圭介は
暮らし向きの話を母親とするため、
菜穂子は蚊帳の外。
菜穂子は孤独を感じているのです。

なんだ、そんなマザコン男、
さっさと別れてしまえばいいだろ、
と、現代の視点で
文句を言ってはいけません。
それが当時は簡単ではないからこそ
菜穂子は苦しんでいるのです。

菜穂子は結核にかかり、
信州の療養所に
入院することになります。
夫・圭介はしばらくは見舞いにも来ない、
手紙もよこさない。
療養所での生活も孤独なのですが、
それでも
姑・夫と暮らす中で感じた孤独よりは、
菜穂子は平安を感じていくのです。

そんな菜穂子に
生きる意味を考えさせたのが、
幼なじみ明なのです。
といっても、感動的なやりとりが
あるわけではありません。
淡々とした会話があるだけです。
「明さんは羨ましいほど、
 昔と変わらないようね。
 …でも、女はつまらない、
 結婚すると
 すぐ変わってしまうから。…」
「あなたでも
 お変わりになりましたか?」
「明さんにはどう見えて?」

でも、ここから菜穂子の心には
自らを変えていきたいという
希望が芽生えるのです。
吹雪の冬の日、
菜穂子は療養所を抜け出し、
東京へと戻ります。
夫・圭介と会うのですが、
家へ入ることを拒まれ、
その日はホテルへ一人泊まります。

極めて中途半端な場面で
物語は終わるのですが、
だからこそ、菜穂子や圭介、明の
その後の生き方を
想像する余地が生まれています。
堀辰雄の傑作、いかがですか。

(2018.9.26)

【青空文庫】
「菜穂子」(堀辰雄)

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