孤独感を読み解くべきなのでしょう
「菜穂子」(堀辰雄)
(「菜穂子・楡の家」)新潮文庫

前回「感動的なやりとりが
あるわけではありません」と書きました。
菜穂子と明の
再会場面だけではありません。
物語全体に大きな起伏がないのです。
では、本作品は何を読むべきか。
本作品は菜穂子・明・圭介の3人が
それぞれ抱えた孤独感を
読み解くべきなのでしょう。
菜穂子については前回書きました。
姑・夫と暮らす中で感じた孤独よりは、
療養所での孤独の方が
平安を感じられる。
それほど孤独だったのです。
そして突然見舞いに訪れた明に対して
つっけんどんな態度で対応し、
それを後悔して
さらに孤独感を深めてしまうのです。
菜穂子の幼なじみの明青年。
彼も孤独です。
雑踏の中で菜穂子を見かけて以来、
仕事が手に付かず、長期休暇をとる。
O村で静養中、
結婚相手の決まっている
村の娘・早苗に対して
あてのない恋心を抱く。
東京に戻っては、
寝たきりの娘・初枝の母・おように
思慕の念を抱き、
一緒に暮らす夢を見る。
そして菜穂子との再会のあと、
冬の旅に出て、
その途上で病にかかり、
死の予感を感じ始める。
そして菜穂子の夫・圭介。
やはり孤独です。
妻を得ながら母親とべったり。
彼はしかし、
自分の孤独に気付いていないのです。
終末では母親が病気にかかります。
おそらくこのあと
菜穂子が家に戻らず、
母親が世を去ったとき、
彼は孤独であったことを
知ることになるのでしょう。
3人の孤独に共通する点は、
家族が少ないという
家庭環境が挙げられます。
菜穂子はすでに両親が他界、
兄も台湾へ赴任中。
明もまた両親が早世、
圭介も結婚前は
母子二人の生活でした。
でも、3人の孤独は、
そうした環境的要因のみならず、
それぞれ自身の内的要因の方が
大きいのでしょう。
菜穂子については、
併録されている「楡の家」を
読む必要があります。
明の孤独もまた、
夢を見る傾向が強すぎて、
現実を直視できないことから
起きていると考えられます。
圭介については
マザコンがすべてでしょう。
三者三様に抱えた孤独感。
しかしそれは、
作者である堀辰雄の感じている
孤独感でもあるのです。
明治の知識人はみな孤独でした。
西洋から流れてくる新しい価値観と、
旧来の日本のそれとの
板挟みにあっていたのでしょうから。
本作品は、
現代とはまったく異質の、
そして現代と同様の深甚さをもった
「孤独」を読み解くために
あるのかもしれません。
(2018.9.26)

【青空文庫】
「菜穂子」(堀辰雄)