「清兵衛と瓢簞」(志賀直哉)

6000倍の価値を付加できる清兵衛の才能

「清兵衛と瓢簞」(志賀直哉)
(「清兵衛と瓢簞・網走まで」)新潮文庫

12歳の少年・清兵衛は大の瓢簞好き。
それを父親も教師も快く思わない。
ある日、清兵衛は
十銭で手に入れた
見事な瓢簞に夢中になり、
教師からそれを取り上げられる。
激怒した父親は、
以後瓢簞いじりを禁じる…。

教師を志した学生時代に読んで、
座右の書にしようと思った作品です。
そう思った割に、
文庫本は引っ越しの際に処分。
思い立って購入、また引っ越しで処分、
また購入、都合4回も購入するほどの
お気に入りです(?)。

ご存じの通り、問題はその後です。
教師に取り上げられた瓢簞は、
用務員が骨董屋に50円で売り、
さらに骨董屋は豪家へ
600円で売っています。
清兵衛の手によって
十銭の瓢簞に6000倍の付加価値が
付いたということなのです。
ここで清兵衛には2つの特殊な才能が
あったことが分かります。

一つは瓢簞の目利きです。
本物の価値を見抜く力が
あったということです。
大人たちが奇抜な形の瓢簞を
褒めそやしていたとき、
「わしには面白うなかった」と
大人に対して言い切れるだけの
確固とした価値観をもっていたのです。

もう一つは、瓢簞を磨き上げる感性と
技術力の高さ、そして根気強さです。
皮付きの瓢簞を買ってきた後、
口を切る、種を出す、栓を自分で作る、
茶渋で臭みを抜く、酒で磨く。
こうした作業を誰に教わるでもなく、
一人で黙々と
取り組むことができたのです。

そんな6000倍の価値を
付加できるような才能も、
それを見いだすことのできる
大人がいなければ、
この世に生かされないまま
終わってしまうのです。
学生の頃、
子どもの才能に気付かない
こんな教師にはなるまい、
子どもの才能を受け止められない
こんな父親にはなるまい、
子どもの才能を
自分の私欲のために使う
こんな用務員のような
大人にはなるまい、
そう思って30年たった今、
自分は子どもの才能を
引き伸ばせる大人に
なっているのかどうか、
心がけてはいるものの、
甚だ自信はありません。

気が付けば、「やりたいこと
(部活動・スポーツ・趣味)は、
やらなければならないこと(学習)を
しっかりやってからやるものだ!」
などと口にしている
自分を見つけてしまいます。

的確な日本語と
美しくも厳しい文体で編まれた
日本文学の傑作です。
大人たちの知らない才能を
秘めている中学生と、
そうした子どもたちを
見守る立場にある
大人の貴方へお薦めします。

(2018.9.29)

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