読書は「繋がる」
「檸檬」(梶井基次郎)
(「梶井基次郎全集」)ちくま文庫

病弱な「私」は、
檸檬を手にした瞬間から、
抱えていた憂鬱が
晴れていくのを感じる。
平素は避けていた丸善へ行き、
積み上げた書物の上に
その檸檬を鎮座させる。
素知らぬふりして店を出た「私」は、
檸檬を爆弾と見立て、
空想する…。
「檸檬」。
何となくインテリジェンス。
何となくアカデミック。
何となくカッコイイ。
決めた、この1冊から読もう。
私の読書の道筋の、その源は、
中学校2年生の時に、
父親に買ってもらった
「旺文社文庫セット」に辿り着きます。
当時、
旺文社から出版されていた文庫本
50冊がセットになったものでした。
漱石の「こころ」、
芥川の短編集、
トウェインの「ハックルベリフィン」…、
古今東西の名作が揃っていました。
父親にねだったところ、
本好きだった父は
快く買い与えてくれました。
その1冊に
梶井基次郎の作品集があったのです。
読み始めたものの…、
短編でありながら、難しくて
なかなか先に進みませんでした。
そしてやっと読み終えても
意味がわかりませんでした。
何これ?これで終わり?
どこにドラマがあるの?オチは?
それまで私が読んでいた
探偵小説とは全く次元の違う作品に、
ただただ驚きました。
よし、これを読みこなせるようになろう。
そう決意して30数年。
現在に至る確かな道筋は、
この本から出発したと認識しています。
そして「繋がり」を意識しながら
次の本、また次の本と、
読み繋げてきたように感じます。
例えば、同じくレモンを題材とした、
高村光太郎の詩集も
同時期に読みました。
有名な「レモン哀歌」です。
「そんなにもあなたは
レモンを待ってゐた
かなしく白くあかるい死の床で(中略)
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう」
当時、その詩の奥深くにある
作者の感情など
わかろうはずもなく、ただ
積み上げた書籍に
梶井が置いた「檸檬」と、
妻の遺影の前に
高村が置いた「レモン」の
相違を考えたことを覚えています。
読書は「繋がって」いきます。
今読んでいる本が、
次に読むべき本に「繋がって」、
豊かな知の世界を
創造していくことができるのです。
子どもたちの今現在の読書が、
どこに「繋がる」べきか、
しっかり助言できる
大人でありたいものです。
※旺文社文庫版「檸檬」は
とうの昔に処分しました。
今愛読しているのは
本書ちくま文庫版です。
(2018.10.11)

【青空文庫】
「檸檬」(梶井基次郎)