「桜の樹の下には」(梶井基次郎)

本作品には数多くの言霊が宿っている

「桜の樹の下には」(梶井基次郎)
(「檸檬」)新潮文庫

「桜の樹の下には
 屍体が埋まっている!」

もし、言葉が人を
切り裂く能力を
持っていたとしたなら、
私はこの一文に
一刀両断にされていたに
違いありません。
それほどこの書き出しには
凄絶な迫力が込められています。

言葉が強烈な力を持っているのは
冒頭だけではありません。
言葉に宿る霊的な力を
「言霊」といいます。
文庫本にして
わずか4ページの本作品には、
数多くの言霊が宿っているような
感覚を覚えます。

「おまえ、この爛漫と
 咲き乱れている桜の樹の下へ、
 一つ一つ屍体が埋まっていると
 想像してみるがいい。
 何が俺をそんなに
 不安にしていたかが
 おまえには納得がいくだろう。」

話者の「俺」が聞き手の「おまえ」に
語りかけるという
物語的手法で描かれているため、
あたかも高い位置から
高圧的に自分に
語りかけられているように錯覚します。

「馬のような屍体、
 犬猫のような屍体、
 そして人間のような屍体、
 屍体はみな腐爛して蛆が湧き、
 堪らなく臭い。
 それでいて水晶のような液を
 たらたらとたらしている。
 桜の根は貪婪な蛸のように、
 それを抱きかかえ、
 いそぎんちゃくの食糸のような
 毛根を聚めて、
 その液体を吸っている。」

美しい桜とは対極的にある
醜いものをかき集め、
これ見よがしに陳列する。
暴力的な破壊力です。

「墓場を発いて屍体を嗜む
 変質者のような残忍なよろこびを
 俺は味わった。」

言葉の裏側に潜んでいるであろう
作者の思いに近づこうとする
読み手の行為を、
この一文は頑なに拒否します。

「おまえは腋の下を拭いているね。
 冷汗が出るのか。
 それは俺も同じことだ。
 何もそれを不愉快がることはない。
 べたべたとまるで
 精液のようだと思ってごらん。
 それで俺達の憂鬱は完成するのだ。」

もはや読み手の魂は
桜の樹の下から逃れることなどかなわず、
作者・梶井の言霊の前に
屈せざるを得ないのです。

「今こそ俺は、
 あの桜の樹の下で
 酒宴をひらいている村人たちと
 同じ権利で、
 花見の酒が呑めそうな気がする。」

読み手はもはや花見の酒など
飲めそうにありません。
完全なる敗北です。

丸善の書棚に爆弾を据えた
「檸檬」も破壊力はありますが、
あくまでも情景の上での力です。
それに対して本作品は
言葉そのものが
圧倒的な力を持っている
word-bombなのです。
巻き込まれないように
気を付けたいものです。

(2018.10.12)

【青空文庫】
「桜の樹の下には」(梶井基次郎)

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