「Kの昇天」(梶井基次郎)

前言撤回!梶井は「檸檬」だけじゃない!

「Kの昇天」(梶井基次郎)
(「日本文学100年の名作第2巻」)
  新潮文庫

Kの昇天」(梶井基次郎)
(「檸檬」)新潮文庫

Kの昇天」(梶井基次郎)
(「梶井基次郎全集」)ちくま文庫

「私」は、ある月夜の海岸で
捜し物をしているような
人影に出会う。
それがKだった。
Kは「月影をじっと見ていると
影が人の姿形を帯びてくる」と
「私」に語る。
そればかりか、
自分自身の人格をも持つという。
ある晩、Kは溺死する…。

先日、梶井基次郎作品で
読むのは「檸檬」だけでいい、
と書きました。梶井作品には
独特な病的暗さがあるからです。
作品の多くに、
病を担っていた梶井の精神が
色濃く反映されているのです。
十分に健康状態を保った状態で
読まなければ、その病的暗さが
読み手にまで感染してしまいます。
でも、本作品は少しばかり違います。
病的暗さが
「美」へと昇華しているのです。

溺死したKについて「私」は、
「月世界へ行った」と解釈します。
「死」が奈落の底へ落ちる
心象を描くとすれば、
「昇天」は神々しい響きを伴って
迫ってきます。
「自分の姿が見えて来る。
 不思議はそればかりではない。
 だんだん姿が
 あらわれて来るに随って、
 影の自分は
 彼自身の人格を持ちはじめ、
 それにつれてこちらの自分は
 だんだん気持が杳(はる)かになって、
 ある瞬間から月へ向かって、
 スースーッと昇って行く。
 それは魂とでも言うのでしょう。
 それが月から
 射し下ろして来る光線を溯って、
 昇天してゆくのです。」

さて、「私」が出会った不思議な人物「K」。
「K」で思い出すのは
漱石「こころ」です
(本作品の10年前に発表されています)。
漱石もまた登場人物の友人に
Kの仮名を与えました。
真相は不明ですが、
Kは金之助(漱石の本名)の
頭文字を当てたもので、自分自身を
暗喩しているのではないかという説も
あります。

それと同様に、梶井が自分の名字の
頭文字Kをあてがい、
自らの魂の浄化を求めたと見るのは
いささかうがち過ぎでしょうか。
Kは梶井自身であり、
病に苦しんでいた梶井は、
自らの魂が、この作品のように
美しく「昇天」することを
切望したのではないかと
思えてならないのです。

若い頃はなかなか
理解できなかったのですが、
人生の折り返し地点を過ぎ、
梶井の生きた年齢を
遙かに超えた今は、
彼が描いた死の影も
少しずつ理解できるように
なってきたつもりです。

本作品を、
新潮文庫版やちくま文庫版で
すでに読んでいたのですが、
本書に収録されているものを
改めて読み、
作品の底光りするような魅力を
再発見した次第です。
先日の言は撤回します。
梶井は「檸檬」だけではありません。

(2018.10.12)

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【青空文庫】
「Kの昇天」(梶井基次郎)

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