知らなかったことが多すぎたと反省しています
「東京大空襲」(早乙女勝元)岩波新書
世界戦史上、
どんなに激烈な戦闘でも、
わずか二時間余の短時間に、
八万人をこえる兵隊が
死んだという記録はない。
その意味で、
あの太平洋戦争下の”銃後”は
まさに戦場であり、
東京を中心とする六大都市は
“最前線”だったと私は…。
筆者・早乙女勝元の、この言葉が
すべてを表しているのだと思います。
広島・長崎の原爆や沖縄戦と異なり、
昭和20年3月10日に起きた
東京大空襲については、知らない人が
多いのではないでしょうか
(近年は3月20日の東京サリン事件や
3月11日の東日本大震災の影に
隠れてしまった感さえあります)。
そのような憂うべき状況は
今に始まったことではありません。
昭和42年の段階ですでに
忘れ去られようとしていたのです。
筆者は、東京大空襲を
生き延びた一人として、
その悲惨さを後世に伝えるために
本書を執筆したのです。
筆者による
「東京が燃えた日」(岩波ジュニア新書)、
「写真版東京大空襲の記録」(新潮文庫)を
すでに読んでいたため、
ある程度は知っていたのですが、
本書にはさらに悲惨な状況が
記されています。
米軍機は闇雲に
爆薬を投下したのではなく、
より効果が上がるように、
つまり予定している火薬量で
より多くの人間を抹殺できるように、
綿密なシミュレーションを行った上で
作戦が実行されたということ。
そのために攻撃範囲に対して
円形に爆撃を行い、
火炎の包囲壁を作った上で、
その内側を
徹底的に壊滅させたということ。
各種焼夷弾のみならず、
ガソリンの散布や
機銃掃射も同時におこない、
「効率よく」殺傷行為を
行っていったということ。
目を背けたくなることばかりです。
筆者の告発は、米軍の非道さだけに
向けられているのではありません。
私たちの政府に対しても
鋭い矛先を向けています。
東京大空襲の指揮官であった
カーチス・ルメイ将軍に対して、
戦後日本政府が
勲一等旭日大綬章を授与した件
(「日本の航空自衛隊の育成に
努力した」のが受賞理由)に触れ、
「空襲による犠牲者に対して、
わが国の政府はきわめて冷淡であり、
おそろしくケチだった。
そのような政府だからこそ、
人間としての節操と尊厳を
忘れたことができるのである。」
知らなかったことが多すぎたと
反省しています。
戦後73年が過ぎた現在、
戦争を知る方々が少なくなってきました。
だからこそ、
本から戦争を知ろうとする姿勢が、
現代人には求められているのだと
思えてなりません。
(2018.10.18)
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