「西の魔女が死んだ」(梨木香歩)

人間がよりよく生きるための処方箋

「西の魔女が死んだ」(梨木香歩)
(「西の魔女が死んだ」)新潮文庫

中学進学後、
学校に行くことができなくなった
少女まいは、
片田舎に一人で住む
祖母の家で過ごすことになる。
祖母は魔女の家系に
生まれたのだという。
まいは魔女に憧れるが、
魔女修行の要点は
「何事も自分で決める」
ことだった…。

私ごときがあえて紹介するまでもなく、
過去にベストセラーとなっていて
映画化もされている、
梨木香歩の児童文学の傑作です。
不登校となった少女まいは、
魔女の家系であるという
おばあちゃんの家で
一月あまりを過ごすのですが、
そこでの「魔女修行」こそが
本作品の肝となっています。

〔主要登場人物〕
まい

…学校に行くことができなくなった
 女の子。祖母の家で過ごす。
「ママ」
…まいのお母さん。
 学校に行けなくなったまいを、
 祖母に預ける。
「パパ」
…まいのお父さん。単身赴任中。
「おばあちゃん」
…まいの母方の祖母。英国人。
 片田舎で一人暮らしをしている。
ゲンジさん
…「おばあちゃん」の近所に住む男性。
 性格が粗暴であり、まいが怖がる。
ブラッキー
…「おばあちゃん」のかつての飼い犬。
 すでに亡くなっている。
ショウコ
…まいの新しい学校での友人。

本作品の味わいどころ①
人間がよりよく生きるための処方箋

「魔女修行」といっても
異世界アニメで見られるような
奇天烈なものではありません。
ごく当たり前のこと二つです。
一つは、
「早寝早起き。
 食事をしっかりとり、
 よく運動し、
 規則正しい生活をする」

もう一つは、
「自分で決める力、
 自分で決めたことをやり遂げる力」

当たり前でありながらも、
それらは現代の子どもにとっては
相当に難しいことでしょう。
まいにとっても同じであり、
まいはそれらの提案について
難色を示すのです。
それに対して、
おばあちゃんは優しく諭します。
「いちばん価値のあるもの、
 欲しいものは、
 いちばん難しい試練を
 乗り越えないと
 得られないものかもしれませんよ」

実は、児童文学と
カテゴライズされる本作品ですが、
優しい言葉で書かれた哲学書のように、
私には感じられます。
人が生きるというのは、
このようなことですよ、と
優しく語りかけられているような
錯覚をおぼえます。

それは何でも
突き進めばいいというような
強引なものとなってはいません。
傷ついたまいの心におばあちゃんが
優しく寄り添っているように、
本作品に織り込まれている
作者のメッセージは、
読み手に対しても
寄り添うように響いてくるのです。
転校しても(不登校に陥った)
根本的な問題は解決しないという
まいに対して、
「自分が楽に生きられる場所を
 求めたからといって、
 後ろめたく思う必要はありませんよ。
 シロクマが
 ハワイより北極で生きる方を
 選んだからといって、
 だれがシロクマを責めますか」

この、人が人としてよりよく生きる、
自分らしく生きるための処方箋が
明確に示されていることこそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
人が死ぬことへの根源的な問いかけ

表題に含まれる「死んだ」という文言。
およそ児童文学に
似つかわしくない言葉であるとともに、
「人間がよりよく生きるための
処方箋」としての機能とも矛盾します。
しかしよりよく生きることと表裏一体の
「死ぬこと」についても、
作者は淡々と自らの考えを
開陳しているのです。
「じゃあ、魔女って
 生きているうちから
 死ぬ練習をしているようなもの?」
「そうですね。十分に生きるために、
 死ぬ練習をしているわけですね」

魔女の能力として、
自分の肉体の死をおそらくは
予見していたおばあちゃん。
だからこそ、孫娘の魂の成長を
ひたすら願ていたのでしょう。
このように、人が生きること、
そして人が死ぬこと、
それらへの根源的な問いかけが
提示されていることこそ、本作品の
第二の味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
美しい日本語が紡ぎ出す美しい情景

梨木文学の大きな魅力として
挙げられるのが、
美しい日本語と卓越した表現技法です。
読む対象として
子どもたちを意識しながらも、
その言葉や表現には、
子どもに迎合するような姿勢は
まったく見られません。
若者風の言葉やカタカナ語、
流行の言い回しを徹底的に排除し、
簡素で平易、しかし端正な日本語で
すべてが綴られています。
「突然、まいの回りの世界から
 音と色が消えた。
 耳の奥でジンジンと
 血液の流れる音がした、と思った」

「おばあちゃんと過ごした
 一ヶ月余りのことを、
 急にすごい力で身体ごと
 ぐんぐんと引き戻されるように
 思い出した。
 部屋や庭のにおいや、
 光線の具合や、
 空気の触感のようなものが、
 鼻孔の奥から鮮やかに甦るような、
 そんな思い出し方で」

言葉が、視覚だけでなく
読み手の聴覚や嗅覚にも
鋭く訴えかけてくるのです。
美しい日本語が紡ぎ出す美しい情景、
これこそが本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

そして心を激しく揺さぶられる終末の
「仕掛け」が飛び出すのです。
「おばあちゃん、大好き」
「アイ・ノウ」
何度読み返しても、涙が溢れてきます。

中学校一年生に強く薦めたい作品です。
もちろん大人のあなたの心にも
十分すぎるほど
響くものがあるはずです。
未読の方、ぜひご賞味ください。

(2018.10.24)

〔「不登校」という問題について〕
不登校。
学校社会において、今
とても大きな問題となっています。
私の住む地域でも、
ほとんどの学校に
十数名ずつ不登校生徒が存在しています。
日本全国ではいったい
どのくらいの数に
なるものなのでしょうか。
「学校なんて行く必要はない」と
言い切るのは簡単です。
しかし都市部と違い、
地方は生き方の選択肢が少なく、
不登校に陥った後の進路が
きわめて限定的となります。
そのため中学卒業後に
大きなハンディキャップを
背負い込むケースが少なくないのです。
不登校の事情は一人一人異なり、
有効な解決策を
打ち出せていない状態です。

さて、不登校の問題を扱った本作品
(それが本作品の
主題ではないと思うのですが)を、
すでに私は何度も読み返しています。
本書には、こうすれば解決できるという
具体策はありませんが、
一つの可能性を示唆するようなものが
いくつも散りばめられています。
おばあちゃんのまいに対する姿勢は、
そのまま不登校の子どもたちの
周囲にいる大人の果たすべき役割に
通じるのではないかと思えるのです。

「規則正しい生活をする」こと、
「自分で決める」こと、
「欲しいものは
難しい試練を乗り越えないと
得られない」ということ。
おばあちゃんが
まいに語りかける言葉すべてが、
不登校で苦しんでいる子どもたちに
そのまま伝えるべき
メッセージとなっているのです。

現実を直視すると、
ネットや情報端末の普及によって、
規則正しい生活は、
子どもたちにとってますます
困難な状況になりつつあります。
それを躾けることに
限界を感じている
親御さんも多いと思われます。

「自分で決めること」も困難に感じる
子どもが多くなっています。
結果に責任を
負いたくないからでしょう。
誰かに決めてもらったことに
とりあえず満足し、
うまくいかなければ
他人のせいにできる。
そんな風潮が広がりつつあります。

大人に目を向ければ、
大人もまた子どもを教え導く難しさに
直面しています。
「子どもに寄り添うこと」を
「子どもの言いなりになること」と
混同する傾向が、
年々強くなっています。

不登校の問題は、
そのまま子どもたちを支えるべき
私たち大人の問題でも
あると思うのです。
大人の知恵を持ち寄って、
解決に近づく努力を
していきたいものです。

(2018.10.24)

〔「西の魔女が死んだ」新潮文庫〕
西の魔女が死んだ
渡りの一日

〔関連記事:「西の魔女」関連作品〕
「ブラッキーの話」
「冬の午後」
「かまどに小枝を」

「僕は、そして僕たちはどう生きるか」

〔関連記事:梨木香歩作品〕

「渡りの一日」
「岸辺のヤービ」
「ピスタチオ」

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Jaesung AnによるPixabayからの画像

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