「砂底の男」は、幸福になれたのかどうか
「砂の女」(安部公房)新潮文庫
砂底に閉じこめられた「男」は、
水の補給を断たれ、
「女」との同居生活に
踏み切らざるを得なくなる。
数度の脱出行動は
すべて徒労に終わる。
数ヶ月が経った後、
「男」の心には変化が生じていた。
「男」は脱出可能な縄梯子を
目の前に…。
この作品の結末は衝撃的です。
あれほど脱出を
切望していたのにもかかわらず、
溜水装置のシステムを
見つけたことにより、
砂の世界に居心地の良さを
見いだしたのです。
「男」の心象はどう変化したのか?
第一章では、
「男」は砂底の家での生活を
心底否定しています。
「これじゃまるで、
砂搔きするためにだけ
生きていいるようなものじゃないか!」
当然です。
穴の外へは出られない、
砂搔きをしなければ
水さえ与えられない、
煙草や新聞は配給制、
昼に睡眠をとり、
夜に砂搔き野作業をし続ける。
生活に何の自由もないのですから。
「男」は「砂底の生活」と
「外の生活」を比較し、
その極端な落差に
打ちのめされているのです。
外界への脱出の願いは、
自由への渇望といえるでしょう。
ところが第二章では、
その比較の結果に
違いが生じています。
自由があると思っていた
「外の世界」にも、
自由などないと気付き始めるのです。
「あの生活や、この生活があって、
向うの方が、
ちょっぴりましに見えたりする…
すこしでも、気をまぎらわせて
くれるものの多い方が、
なんとなく、
いいような気がしてしまうんだ…」
「男」は「外の世界」において、
職場の上でも家庭の上でも
十分に満たされてはいないのです。
だからこそマニアックな
昆虫採集に生きがいを感じ、
砂丘にやってきたのです。
そして第三章では、
「男」は砂底の生活に
「希望」を見い出すのです。
それは「慣れ」ではなく、
「諦め」でもなく、
自分が創り出した溜水装置を
誰かに認めてもらいたいという
「願い」からなのです。
「砂の変化は、
同時に彼の変化でもあった。
彼は、砂の中から、
水といっしょに、もう一人の自分を
ひろい出してきたのかも
しれなかった。」
昨日、この第三章について、
「男が狂気の世界に
飲み込まれたかのようにも感じられ、
これこそが本当の
恐怖なのではないか」と書きました。
「人は自由を奪われた世界においても
時間とともに飼い慣らされる」と
解釈すべきか、
「人はどんな環境においても
希望を発見することができる」と
読み解くべきか。
物語は二枚の公文書
「失踪に関する届け出の催告」
「審判」によって閉じられます。
それは「外の生活」における
男・仁木順平の「死」と、
「砂底の生活」の「男」の「誕生」を
意味しています。
「砂底の男」は、
幸福になれたのかどうか、
深く考えてしまいます。
(2018.10.29)