
処女作にしてすでに傑作、乱歩の渾身の一篇
「二銭銅貨」(江戸川乱歩)
(「江戸川乱歩全集第1巻」)光文社文庫
(「江戸川乱歩傑作選」)新潮文庫
(「日本文学100年の名作第1巻」)
新潮文庫
ある日、松村は、
釣り銭の二銭銅貨が二つに割れ、
中に暗号文が隠されていることを
見つける。
それを解読した彼は、
泥棒の隠し金・五万円を
手に入れたと
喜び勇んで帰ってくる。
「俺は君より頭がいい」と豪語する
彼に対し、「私」は…。
日本ミステリ界の巨人・江戸川乱歩の
デビュー作として知られた一篇です。
もはや説明の必要のないほど、
広く知られている作品であり、
乱歩自身の作品集のみならず、
近年は純文学のアンソロジーにも
収録されるようになりました。
〔主要登場人物〕
「私」
…無職の青年。下駄屋の二階の
六畳一間にゴロゴロしている。
松村武
…「私」の友人。下駄屋の下宿の同居人。
二銭銅貨に隠された暗号文を発見、
解読する。
紳士泥坊
…五万円を盗み逮捕されるが、
金の隠し場所を自供しない。
本作品の味わいどころ①
日本ミステリ最高の暗号解読物語
黒岩涙香が海外作品の翻案を
次々に発表した明治以来、
日本人による探偵小説は
なかなか花を咲かせることの
できなかった時代が続きました。
その暗黒の時代に終止符を打ち、
日本ミステリ史の幕開けとなったのが
大正十二年に発表された
本作品なのです。
本作品では殺人は描かれず、
描かれた大金盗難事件も
本筋には関わらず、
メイン・トリックとなっているのは
「暗号」なのです。
「陀、無弥仏、南無弥仏、阿陀仏、弥、
無阿弥陀…」という
「坊主の寝言見たような」文字の羅列が、
暗号によって書かれた
通信文となっているのです。
松村は、その解読の経緯をしたり顔で
「私」に語って聞かせるのです。
南無阿弥陀仏を使った
暗号のしくみそのものにも
唸らされてしまうのですが、
それ以上に、松村の口を使って
乱歩が語る暗号記法の蘊蓄が絶妙です。
そのくだりは、
読み手を現実から作品世界へと、
巧妙に引き込んでいくのです。
気づかぬままに読者を
RAMPO-WORLDへと誘う、
催眠効果抜群の暗号解読物語こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
ルパンと二十面相を繋ぐ紳士泥坊
冒頭で紹介される「紳士泥坊」。
若き日の乱歩はおそらく、
怪盗ルパンをイメージしていたに
違いありません。
手荒なまねをして奪い取る
「強盗」ではなく、
スマートに盗み取る「怪盗」。
それはのちの「怪人二十面相」へと
昇華していくのです。
本作品に登場する「紳士泥坊」は、
まさにルパンと二十面相を繋ぐ
ミッシング・リンクといえるでしょう。
この、怪人二十面相の原点となる
「紳士泥坊」の存在こそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。
昭和生まれの私などは、
この「紳士泥坊」の記述を読むと、
ついつい「三億円事件」を
思い出してしまいます。
暴力を振るわず、巧妙な
騙しのテクニックを用いている点や、
給料支払い前の現金を狙っている点、
そして単独での犯行など、
類似点はいくつか見当たります。
もしかしたら三億円事件の犯人は、
この「泥坊紳士」に触発されて
犯行計画を練ったのではないか?
そんな想像が膨らみます。
本作品の味わいどころ③
読み手を驚かせる大どんでん返し
①で記した「暗号解読」ですが、
実は二段階の暗号になっていることが
明かされます。
「私」が解説する
二段階目に現れた暗号文は、
自信満々の松村の
鼻をへし折るとともに、
筋書きを大きくひっくり返すのです。
何度再読しても
その衝撃の大きさは変わりません。
乱歩の仕掛けた爆弾は、
作品世界に入って催眠状態に陥っていた
読み手の精神を揺り動かし、
強引に現実世界へと引き戻す作用を
果たすからです。
この、読み手を驚かせる
大どんでん返しこそ、
本作品の肝であり、最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。
日本ミステリ史の最初の一歩です。
難点を挙げればきりがありません。
謎解き的な部分はあるものの、
読者がいろいろな状況から
推理を楽しむ余地はありません。
二つに割れる二銭銅貨
(現代の技術を持ってしても難しいと
思うのですが…)が登場しますが、
詳しい説明は意図的に省かれています。
探偵も登場しません。
作品冒頭に描かれる「紳士泥棒」と
実は関係がないため、
「事件」すら起こっていないのです。
現代の基準からいえば、とても
ミステリとはいえない作品なのです。
しかしこの時代、
探偵小説というジャンルは、
冒頭に記したとおり、
海外作品の翻訳ものが中心でした。
日本人作家にはまだまだ
ハードルが高かったこの時期に、
乱歩がひとつのスタイルを
提示したことには
大きな意味があったのです。
この作品の発表により、
乱歩は推理小説作家として
輝かしいスタートを切ります。
ほどなく次の傑作
「D坂の殺人事件」「心理試験」を発表、
明智小五郎を世に送り出します。
やがて明智小五郎はシリーズ化し、
そして少年探偵団や怪人二十面相へと
結実、日本ミステリはその裾野を
大きく広げていくことになるのです。
処女作にしてすでに傑作、
乱歩の渾身の一篇を、
ぜひご賞味ください。
(2018.11.4)
〔青空文庫〕
「二銭銅貨」(江戸川乱歩)
〔「江戸川乱歩全集第1巻」光文社文庫〕
二銭銅貨
一枚の切符
恐ろしき錯誤
二癈人
双生児
D坂の殺人事件
心理試験
黒手組
赤い部屋
日記帳
算盤が恋を語る話
幽霊
盗難
白昼夢
指環
夢遊病者の死
百面相役者
屋根裏の散歩者
一人二役
疑惑
人間椅子
接吻
〔光文社文庫「江戸川乱歩全集」〕
〔「江戸川乱歩傑作選」新潮文庫〕
二銭銅貨
二癈人
D坂の殺人事件
心理試験
赤い部屋
屋根裏の散歩者
人間椅子
鏡地獄
芋虫
〔新潮文庫「日本文学100年の名作
第1巻」について〕
反省しています。
私はこれまで江戸川乱歩を
軽く見ていました。
これは純文学ではないと。
推理小説に過ぎないではないかと。
間違っていました。
そもそも純文学とそうでない文学と
どこで線引きをするというのか。
思い直すきっかけになったのが、本書
「日本文学100年の名作第1巻」です。
1914年~1923年に発表された
短編小説11編を収めています。
その最後を飾っているのが本作品。
他の10編と比較して遜色ない、
この10年の代表作として
堂々たる輝きを放っています。
ポプラ社刊の少年探偵シリーズに
あれだけお世話になりながら、
これまで江戸川乱歩を一段低く見ていた
過ちに気付くことができたのも、
この一冊のおかげです。
アンソロジーという出版形態は
作品の気づかなかった価値を
浮き彫りにします。
〔「日本文学100年の名作」収録作品〕
1915|父親 荒畑寒村
1916|寒山拾得 森鷗外
1918|指紋 佐藤春夫
1918|小さな王国 谷崎潤一郎
1919|ある職工の手記 宮地嘉六
1921|妙な話 芥川龍之介
1921|件 内田百閒
1921|象やの粂さん 長谷川如是閑
1922|夢見る部屋 宇野浩二
1923|黄漠奇聞 稲垣足穂
1923|二銭銅貨 江戸川乱歩


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