日常に対する抗いにほかなりません
「四十八歳の抵抗」(石川達三)新潮文庫

大手生命保険会社次長・西村は
48歳となり、
心の奥底で焦りを感じていた。
これまで刺激的な出来事のない
平凡な人生だったからである。
ある日、
会社の慰安旅行で西村は、
部下の曾我から
「行方不明」になることを
提案される…。
本作品が発表されたのは昭和31年、
今から60年以上前です。
55歳定年制で
48歳にして人生の黄昏を感じる感覚や、
婚前交渉により
娘が傷物になったという貞操観念等、
現代からすれば
さすがに時代を感じてしまいます。
そうした「時代のずれ」を
すべて捨象すると、
本作品から実にいろいろなものが
見えてきます。
西村が望んだのは、
「残りの人生、何か刺激的な
別の人生はないか?」ということです。
重役こそなれないものの
一般的に見てほぼ妥当な地位に就き、
退職を目前とした今、
人生このまま終わって
いいのだろうかという
迷いが生じているのです。
「このまま自分も老い朽ちて
死んでしまうのか、と彼は思った。
何かしらしきりに口惜しい。」
西村の「抵抗」とは、
日常に対する抗いにほかなりません。
わかります。
堅実に生きてきた人間も、
心の奥底では
人生のドラマがほしいのです。
でも、
堅実に生きることができたのは、
危険やリスクを避け、
危ない橋など見向きもせず、
安定を求めてきたからなのです。
48歳にもなって、
そうした生き方を転換することなど
おいそれとできようはずがありません。
したがって、西村もまた
「行方不明」になっても
何ができるわけではないのです。
同僚とヌード撮影会に出かけても
のめり込むわけでもなく、
女を囲えるだけの
金を得ようとしても
恐喝などできるはずもなく、
酒場で知り合った19歳のユカリと
熱海の温泉に出かけても
それ以上の関係に
なれるわけでもなく、
やはり普通の生活に
戻らざるをえないのです。
そして、
自分の生活は妻の存在によって
縛られてきたと
思い込んでいた西村は、
妻によって支えられてきたことに
気付くのです。
善良ではあるが小心者。
西村のそうした人となりや
ものの考え方は、
私にはよくわかります。
同じような焦りを感じることも
確かにあります。
55歳定年制での48歳(あと7年)は、
現在の60歳定年では
52、3歳ということになるのでしょう。
今の私の年齢に合致します。
考えてみると、この西村のように
19歳の少女を誘って
温泉に出かけることすら
私にはできそうにありません。
日常に対して抗うことができない分、
せっせとこのブログを
綴っていこうかと思った次第です。
※昭和31年当時の日本人の
平均寿命は60歳半ばでしたので、
48歳で人生の黄昏を感じても
不思議ではないのです。
平均寿命が80歳を超えた今、
50歳程度ではまだまだ
黄昏れてはいられないのでしょう。
※昭和31年に刊行された本作品は、
映画化もされ、
話題になりました。
33年には文庫本化されたものの
いつしか絶版。
なぜか平成20年に突然改版復刊され、
あっという間に
再び絶版状態となりました。
(2018.11.20)
