「十二歳」(椰月美智子)

緩やかに変化してゆく「私」

「十二歳」(椰月美智子)講談社文庫

小学校六年生の「私」は、
ポートボールが大好きで
友達もいっぱいいる
楽しい毎日を過ごしていた。
でも、少しずつ
自分の中の何かが
変化していくことに気づく。
頭と身体がちぐはぐで、
何だか自分が自分でないみたいな
気がしてきて…。

椰月美智子のデビュー作「十二歳」です。
第42回講談社児童文学新人賞を
受賞した本作、
これまでのものとは明らかに異なる、
新しい時代の児童文学です。
書かれたのは2002年。
しかし十数年経過した今でも、
瑞々しさを失っていません。

〔主要登場人物〕
「私」(鈴木さえ)

…語り手。小学校六年生。
 ポートボール部。
※ポートボール部員および同級生
大沼みどり
…ポートボール部。
瀬川加奈子
…同級生。運動神経抜群。
木下たかこ
…同級生。絵がうまい。
水津弥生
…同級生。すいちゃんと呼ばれている。
金谷公子
…ポートボール部キャプテン。
有希
…ポートボール部副キャプテン。
井上タメオ…同級生。
西田…同級生の男子。
川畑…隣のクラスの男子。
※学校関係者
遠藤
…木成小の教師。ポートボール部顧問。
向山(ムコーヤマ)
…木成小の教師。
 ポートボール部コーチ。
直人先生
…木成小の教師。
 ポートボール部コーチ。
 「私」が憧れている。
田中コーチ
…木成小ポートボール戸川地区コーチ。
※「私」の家族
「お母さん」…「私」の母親。
「お父さん」…「私」の父親。
「お姉ちゃん」…「私」の姉。
「おばあちゃん」…「私」の祖母。
「おじいちゃん」…「私」の祖父。故人。
アロエ…「私」の飼い猫。

本作品の味わいどころ①
流れるように移りゆく場面

書かれてあることは簡単です。
小学校高学年からでも
十分に読みこなせます。
しかしそこに筋書きらしきものはなく、
作者からのメッセージも
はっきりしたものは感じられず、
大人にとっては理解が難しい作品だと
感じます。

何か一つのことについて
掘り下げて描かれているわけではなく、
場面は淡々と移り変わります。
まるで主人公「私」が書いた
日記を読んでいるかのようです。
場面は概ね三つ。
「ポートボールのこと」
「学級のようす」
「家庭でのこと」。
例えば「第2章 頭痛」だけみても、
以下のように場面は変転します。
①(ポ)練習に現れた直人先生
②(学)木下さんの上手な絵のこと
③(学)すいちゃんのこと
④(学)学級委員としての自分
⑤(家)ピアノの練習をやめたこと
⑥(学)クラス対抗水泳大会
⑦(家)頭痛で寝込んだこと
まるでヴァージニア・ウルフの小説の
技法「意識の流れ」の
ライト版のような雰囲気なのです。

しかし冷静に考えると、
それが私たちの日常のごく当たり前の
姿ではないかと思うのです。
私たちは、
オフィスでは仕事に集中する一方、
家庭に戻れば「父親」や「母親」、
「子ども」の顔に戻るはずです。
むしろこの「日記」のような形こそが
小学校六年生の日常を細やかに
映し出していると考えるべきです。
この、
流れるように移り変わる場面描写こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
緩やかに変化してゆく「私」

初めてこの作品を読んだときは
驚きました。
ポートボールに打ち込んでいる「私」が、
地区対抗の大会で優勝した後、
学校対抗の一つ大きな大会へと向かう
場面から物語はスタートします。
当然学校代表メンバーとして
チームを引っ張っていくのだろうと
安易な想像をしていました。
ところが、
チームを引っ張るどころか…、
キャプテンが怪我で練習できないのを
密かに喜ぶ、
大事な場面で動揺してミスを重ねる、
痛んでもいない足の故障を理由にして
練習を休む、
チームに対しても
ポートボールに対しても、
情熱を失っていくのです。
最後まで立ち直ることなく、
負の連鎖が続きます。

一般の少年少女のスポーツものとは
百八十度異なる展開です。
最後は卒業式の朝で締めくくられ、
明るい前向きな印象で終わるため、
読後はそれなりに爽やかなのですが、
ここでも「なぜ?」という
疑問がつきまといます。

やはり、
現実的にはこちらの方が
あり得るのではないかと思います。
おそらく成長の過程で、
誰しもこのような時期を
迎えるのではないでしょうか。
人によってはそれが高校生であったり、
中学生であったり。
「私」の場合は(あるいは作者の場合は)、
それが小学校六年生、
十二歳だったのではないでしょうか。

「記憶喪失になってしまった感じ。
 空白というより空欄。
 ひどいズレがある。
 今まで普通だったのに、
 すっかり分かれてしまった。
 頭だけが一メートル後ろに
 あるみたい」

「私」はそれを
「人間離れ」と呼ぶのですが、
これこそがまさに
「思春期の悩み」なのでしょう。
この、思春期の悩みがもたらす、
緩やかに変化していく「私」の姿こそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
新しいあるべき子どもの姿

つまり本作品は、
新しいあるべき子どもの姿を描いた
作品なのではないかと思うのです。
部活動にひたむきに
打ち込めるのであれば
それがいいのでしょうが、
打ち込めなくてもいいのです。
勉強に集中できるのなら
それに越したことはないのですが、
できなくても問題はないのです。
これまでの「あるべき子どもの姿」は、
大人として
「そうあってほしい子どもの姿」でした。
しかし「そのままの子どもの姿」こそ、
新しい時代の
「あるべき子どもの姿」なのではないかと
思うのです。
この、
椰月美智子が時代に先駆けて提示した
新しい「あるべき子どもの姿」こそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

この本を
中学校一年生に薦めたいと思います。
思春期にすでに入った子どもであれば、
自分の抱えている悩みの正体に
気づくきっかけになるとともに、
自分一人ではないという
安心を得ることができます。
思春期が訪れていない
子どもにとっては、
自分がこれから迎える状況を
前もって理解できると思うのです。
いや、大人のあなたにとっても、
子どもとの接し方を考える上で、
大いに参考になるはずです。

(2018.12.13)

子どものために書かれた100%の児童文学

「子どもたちが読むべき本って
どんな本だろう」、
この十数年、ずっと考えてきました。

幼児期に読ませたい本は
豊富にあります。
絵本です。国内外に
素晴らしい内容の絵本が存在し、
しっかりと根を下ろしています。

小学生に読ませたい本も
それなりに充実していると思うのです。
新書本サイズの
「○○少年少女文庫」的なシリーズが
いくつも出版されています。
すべてが、
というわけではありませんが、
良書が数多く含まれています。

でも、中学生向けの本が
わかりにくいのです。
いわゆる「児童文学」なのですが、
ネット等の情報で探しても、
ライトノベルか売れ筋の小説しか
紹介されていないのです。

それなら自分で探そう。
そう思って探してみると、
純粋な児童文学の文庫本は
意外と少ないことに気づきました。
「大人が読む児童文学」
(メルヘン小説やノスタルジック小説)は
数多いのですが、
中学生のための純粋な
「児童文学」が見つかりにくいのです。
「大人が読む児童文学」の多くは、
冒頭か終末に大人になった
主人公が描かれ、
過去を振り返る場面がります。
この、「大人の目線」が子どもたちには
余計だと思うのです。

そうした中で、
本作品は子どものために書かれた
100%の児童文学といえる一冊です。
タイトルの通り、
十二歳である小学校六年生の一年間を
淡々と描いている作品です。

この時期の子ども特有の、
ころころと変化する視点によって、
小学校六年生の目の高さで、
ありふれた日常を切り取った
作品なのです。
劇的なドラマを
期待してはいけません。
瑞々しく描かれた、
多感な時期の十二歳の一年間を
味わうべき作品です。

中学校一年生が読んでも、
もしかしたら「面白い」と
感じないかもしれません。
なぜなら子どもたちは
非日常の世界と強烈な個性をもった
主人公が好きなのですから。
でも、こういう作品から
文学へと近づいてほしいのです。
そうすれば文学の本当の「面白さ」、
つまり、
単なるエンターテインメントではない、
教養としての面白さが
わかるはずなのですから。

(2018.12.13)

〔関連記事:椰月美智子の作品〕
「しいちゃん」
「未来の手紙」
「市立第二中学校2年C組」
「14歳の水平線」
「しずかな時間」

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Yoshiharu TSUYUKIによるPixabayからの画像

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