「マッチ売りの少女」(アンデルセン)

彼女が求めたのは「自分を愛してくれる人間」

「マッチ売りの少女」(アンデルセン/天沼春樹訳)
  (「アンデルセン傑作集」)新潮文庫

大晦日の街の通りを、
裸足で歩く少女は、
売り物のマッチが一つも売れず、
家に帰るに帰れない。
寒さに耐えきれず、
彼女は路地裏で一本のマッチを擦る。
するとそこには
美しい幻想の風景が広がった…。

ご存じ「マッチ売りの少女」。
アンデルセンは知らなくとも
本作品だけは知っているという方は
多いのではないでしょうか。
前回取り上げた
「ひとり者のナイトキャップ」を読んで、
真っ先に思い浮かべたのが本作品です。
アントン老人が
ナイトキャップを目深にかぶって
夢を見たのも悲しい所作ですが、
少女がマッチを擦って見る
束の間の幻影も
痛々しすぎる設定です。

マッチを擦って見えてきたものは?
と問われて、
正確に答えられる人は
何人いるのでしょう。
一本目のマッチでは
「大きなストーブ」、
二本目は「ガチョウの丸焼き」、
三本目で「クリスマスツリー」、
そして四本目は
彼女をただ一人愛してくれた
「おばあちゃん」が現れるのです。
彼女は残りのマッチをすべて点火し、
おばあちゃんの幻に浸ります。

凍える身を温めてくれる暖炉でもなく、
空腹を満たしてくれる御馳走でもなく、
神に祈る聖なる夜でもなく、
彼女が求めたのは
「自分を愛してくれる人間」であり、
それだけが
ただ一つの願いだったのでしょう。

幻影や夢の中でのみ、
「かつて自分を
愛してくれた人物」に会える。
しかし現実世界には
そうした存在がいない。
「ナイトキャップ」のアントンに通じます。

幸福感に包まれながら
天に召されたのも、
誰にも知られず命を終えたのも、
アントンと同じです。
本作品もまた、
悲しい結末で終わるのです。

アメリカの作家、
例えばバーネットあたりが、
こうした筋書きの着想を得たなら、
少女は裕福で優しいおじさんに救われ、
最後はめでたしめでたしと
なるのではないでしょうか。

貧しい少女時代を過ごした
作者の母親が、
本作品のモデルであると
言われています。
ならばなぜこうした
救われない結末にしたのか?
せめて作品の中だけでも
自分の母親を幸せにしてやることは
できなかったのか?
さまざまな疑問が浮かんできます。

現実世界で叶わぬ願いを、
別の世界で成就させようと
しているかのようです。
やはり主人公に
作者が投影されていると
みるべきでしょうか。

※「マッチ売りの少女」は
 クリスマス・イヴの物語だと
 思いこんでいました。
 よく読むと大晦日です。
 クリスマスツリーが
 登場しているために
 誤解していたのか、
 それとも「フランダースの犬」と
 混同していたのか。
 自分の記憶ほど
 あてにならないものはないようです。

※なお、本作品が書かれた当時は、
 現在使用されているような
 安全マッチ(軸先の頭薬と
 箱の側薬の分離型)は
 まだ開発されておらず、
 何にでも擦れば点火する
 黄燐マッチだったはずです。
 当時、それなりの値段は
 したのでしょう。
 ただでもらえる
 マッチなどを売り物にしても、
 誰も買わないだろうと
 安易に考えていた時期がありました。
 時代背景を調べることは
 やはり重要です。

(2018.12.19)

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