読み手もまた「本質をつかめない恐怖」を体験できる
「信号手」
(ディケンズ/岡本綺堂訳)
(「世界怪談名作集」)河出文庫

「信号手」
(ディケンズ/岡本綺堂訳)青空文庫

「私」は英国の深い谷で、
鉄道の信号手と出会う。
仕事に対して誇りを持っていると
思われる彼は、
警戒心を示しつつも、
悩まされていることがあると
「私」に打ち明ける。
翌日、「私」が再び信号手を訪ねて
その「悩み」を聞くとそれは…。
ディケンズといえば
「クリスマス・キャロル」です。
クリスマス・イヴの夜、
がめつい金貸しのスクルージのもとに
三人の精霊が現れ、
人生のなんたるかを
教え諭すという名作です。
本作も「クリスマス・キャロル」同様の
ゴースト・ストーリーですが、
まったく明るくない、恐怖の物語です。
こちらはゴースト(と思われる)が
三度現れ、信号手を悩ませます。
三回のゴーストの出現と
その結果は以下の通りです。
一度目。約一年前のこと。
幽霊が現れ、
「おぅい、下にいる人!」という声で
信号手に危険を告げる。
その数時間後、大事故が起き、
多数の死傷者が管理小屋に運ばれる。
二度目。約3~4月前のこと。
現れた幽霊は無言のまま
顔を手で覆っていた。
その後やってきた列車の中で、
美しい若い女が突然に死んだ。
三度目。
幽霊が1週間前に現れ、
「下にいる人! 見ろ、見ろ」と叫ぶ。
信号手の不安は、三度目の今回、
どんな事故がいつ起き、
誰が死ぬのか分からないという
ことなのです。
危機が迫っているのに
その本質がつかめない。
これこそが「恐怖」です。
三度目に何が起きるかは、
読んで確かめてください。
もしかしたら読書に不慣れな方は、
何が恐怖なのか今ひとつ
理解できないかもしれません。
映画の「恐怖」と活字の「恐怖」は、
その迫り方が異なるのです。
映画の場合、主人公もしくは
語り手に相当する人物が
直接体験することにより、
その「恐怖」を観客に伝えます。
しかし、
本作品の語り手は「信号手」ではなく、
彼に接した「私」なのです。
つまり読み手への間接的な伝達です。
従って、信号手の体験が
事実なのかそれとも幻覚なのか、
読み手は推察するしかないのです。
「恐怖」を体験している人物とは
別の語り手を置くことによって、
読み手もまた
「本質をつかめない恐怖」を
体験できるのです。
これこそがディケンズの
狙った効果だと考えます。
私の読んだ青空文庫版の
岡本綺堂訳は昭和4年発表であり、
かなり堅めの訳文でした。
岩波文庫の「ディケンズ短篇集」に
収録されている
小池滋訳はどうなのか、
近いうちに読んでみたいと思います。
(2018.12.28)
〔追記〕
岡本綺堂訳「世界怪談名作集」が、
このたびめでたく再復刊しました。
嬉しい限りです。
本書は昭和4年に改造社より
「世界大衆文学全集」の一冊として
刊行され、
大好評を博したものなのですが、
河出文庫から1987年に復刊、
その後2002年にも同じ河出文庫から
改訂再発されていたのですが、
すぐに絶版となり、
入手困難な状況が続いていました。
アイキャッチ画像も交換しました。
(2023.2.14)
〔本書収録作品一覧〕
序 岡本綺堂
貸家 リットン
スペードの女王 プーシキン
妖物 ビヤース
クラリモンド ゴーチェ
信号手 ディッケンズ
ヴィール夫人の亡霊 デフォー
ラッパチーニの娘 ホーソーン
※本書は全2巻構成です。
もう一冊はこちらです。

【青空文庫】
「信号手」(ディケンズ/岡本綺堂訳)
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