100年先の読み手を意識したような作品の奥深さ
「ハックルベリイ・フィンの冒険」
(トウェイン/村岡花子訳)新潮文庫

逃亡に成功した
ハックと黒人・ジムは、
筏やカヌーを駆使して
ミシシッピー川を下る。
その先々で彼らは、
難破船で分け前を争う盗賊たち、
遙か過去の確執から抜け出せずに
いがみ合う二つの家、
そして二人の
詐欺師たちと出会い…。
本作品の最大のクライマックスは、
前回取り上げた
「よし、それじゃあ僕は地獄へ行こう」と、
トムが宗教上のタブーを打ち破り、
自らの良心のみによって
自分の行動を果敢に決めた
その瞬間だと考えます。
ところが本書は460頁。
いささか長すぎます。
中盤のエピソードは
不要ではないかという
書評を目にしたこともあります。
しかしそうではありません。
争いの末に仲間の殺害を企てた
盗賊たちは白人。
思考停止のまま相手への怨恨を募らせ、
諍いを繰り返している
二つの家の人々も白人。
親を失った子どもたちから
財産すべてを巻き上げようと
画策した詐欺師も白人。
残酷・愚劣・強欲・…、
そうした要素をすべて白人の側に描出し、
愚直で無教養ではあるものの
実直で寛大、勇敢で利他的な
黒人・ジムの姿と
対比させているのです。
そして、そうした経験を通して、
ハック自身の考え方が
徐々に変容している過程を、
作者はしっかりと描いています。
自身の悪戯がもとで
ガラガラヘビに咬まれたジムに対し、
ハックは迷いながらも
ジムに謝る決心をします。
「黒人のところへ謝りに行く
決心がつくまで十五分かかったが、
しかし、僕はやってのけた。」
迷いも生じています。
自由を夢見ているジムの言動を、
彼はこう考えます。
「こんな話を聞いて僕は寒気がした。
黒人に寸を与えれば尺を取る、だ。」
逃げた黒人を見つけたら引き渡すよう、
大人たちから言われたときにも
考えます。
「かりに正しい道をとり、
ジムを引き渡したのだったら、
今よりいい気持ちが
するのだろうか?
いいや、と僕は言った。
いやな気持ちになるだろう。」
いくつかの
愉快で楽しいエピソードの中に、
作者はこの「対比」と「変容」を
さりげなく織り込み、
クライマックスに向けて
積み重ねているのです。
今でこそ人種差別は
なくなりつつあります。
根強い差別や偏見を
持っている人間は多いと思われますが、
「黒人を奴隷として扱うこと」を
肯定する人間など
まず目にすることはないはずです。
そうした現代の私たちにでさえ、
その時代の「黒人は人ではなくモノ」という、
人々に深く根付いた意識が、
本作品からは
痛々しいほどに伝わってきます。
そしてだからこそ、
「よし、それじゃあ僕は地獄へ行こう」の
一言の重みが、
鋭く胸に突き刺さってくるのです。
100年先の読み手を意識したような
作者の構築した世界の奥深さです。
いや、トウェインはおそらく
社会や人々の意識が
どのように変わろうとも、
当時の社会問題を
正確に伝えられるよう
細心の注意を払って
本作品を編んだのでしょう。
永遠の名作といえる本作品、
義務教育の修了前に、
子どもたちにぜひ読んでほしい一冊です。
(2019.1.9)
