「100万回生きたねこ」(佐野洋子)②

孫ができたら自信を持ってこの本を読み聞かせるぞ

「100万回生きたねこ」
(佐野洋子)講談社

そのねこは
100万回生きて愛されても、
その価値に気付かなかった。
でも、
ねこは白いねこを初めて愛した。
それまで自分だけが
好きだったねこは、
白いねこと、
白いねこがうんだ
たくさんの子ねこを、
自分よりも好きになる…。

私の妻が絵本好きで、
子どもが生まれる前から
かなりの数の絵本を所有していました。
おかげで私も子どもが小さい頃
(今から十数年前ですが)、
何度も絵本の読み聞かせをしました。
でも実は、本書は
一度も読み聞かせたことはありません。
なぜなら、読んでいる自分が
泣きそうになるからです。

子どもと一緒に絵と物語を、
単純に楽しめればいいのですが、
いろいろなことを
つい考えてしまいます。
「生きる」とはどんなことなのか。
「死ぬ」とはどんなことなのか。
「幸せ」とは何か。
「愛すること愛されること」には
どんな価値があるのか。
最小限の言葉と最大限の絵で
構成された絵本には、
私たちの想像する余地が
ふんだんにあります。
本自体が多くを語っていないため、
読み手は自然と
考えることを要求されるのです。

大切なのは、
愛されることより愛すること。
気恥ずかしくて
口に出すことも文章で書くことも
ためらわれるのですが、
そんな当たり前のことを
再確認させてくれるのです。
人は愛されることには
気付かないことが多いのです。
でも、
誰かを愛することによってのみ、
自分がどれだけ愛されていたかに
気付けるのかも知れません。

子どもも大きくなったため、
我が家の絵本は
本棚から出ることがなくなりました。
私は密かに
妻の書庫からこの本を抜き出し、
自分のそれに移し替えています。
そして何度も読み返しているのですが…。
もしかしたらこの絵本は大人、
それも子育ても終わり、
人生経験も豊かになった大人が
読み味わうものなのかも知れないと
思うようになりました。

子どもに読み聞かせを
しなくなってからすでに
十数年がたちました。
30代の頃よりも
いくらかは本書の本質に
近づくことができたのではないかと
感じています。
今なら泣かずに
読み聞かせができそうです。
さあ、孫ができたら、
自信を持ってこの本を読み聞かせるぞ!
いったい何年先だ!?

※多くの人が
 ネット上に書評を掲載している中で、
 私ごときが駄文を
 書き綴る必要などないのですが、
 どうしても書きたくて
 しかたのなかった一冊です。

(2019.1.18)

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