「生きる気まんまんだった女の子の話」(江國香織)

愛することは封印できないのです

「生きる気まんまんだった女の子の話」
(江國香織)

(「100万分の1回のねこ」)講談社文庫

その女の子は両親を亡くし、
優しい叔父叔母に
育てられていた。
いつも一緒にいるのは一匹の猫。
女の子は叔父叔母について、
猫に語る。
尊敬してるし、感謝もしてる。
でもね、どうしたって
好きになるわけには
いかないの…。

本書は2010年に亡くなった
佐野洋子さんを偲んで出版された短編集、
それも名作「100万回生きたねこ」への
オマージュ作品集なのです。
執筆者の顔ぶれは、
江國香織、岩瀬成子、くどうなおこ
井上荒野、角田光代町田康
今江祥智、唯野未歩子、山田詠美
綿矢りさ、川上弘美、広瀬弦、
そして谷川俊太郎
もう、手に入れる前から
ワクワクしていました。
本作はその第1話なのです。

女の子は
親切にしてくれている叔父叔母を、
なぜ「好きになるわけには
いかな」かったのか?
それは
「誰かをコッコロから
 好きになっちゃったりしたら、
 身の破滅だもの。」

そうなのです。
女の子は、
かの「100万回生きたねこ」を読んで、
誰かを好きになってしまえば
死んでそれまで、しかし
誰も愛さなければ100万回
生まれ変わって人生を楽しめると
考えていたのでした。
女の子は、
心から愛することを封印したのです。

予想どおり、
ちょっと悲しくて淋しい物語です。
でも「100万回生きたねこ」の
トリビュート作品ですので、
そうならざるを得ません。
「100万回生きたねこ」も本作品も、
「生きること」と「死ぬこと」に、
ストレートに光を当てている
作品だからです。

時が流れ、叔父叔母そして
猫までが亡くなっても、
中年になった「女の子」は
涙を流しませんでした。
しかしさらに時が経ち、
愛してもいない夫が
この世を去ったとき、
すでに老女になった「女の子」は
涙を流してしまいます。

「100万回生きた」トラ猫は、
100万回目に生きかえったとき、
愛することの
素晴らしさを知ったのですが、
本作品の「女の子」は、
愛情を注いだ人間がいなくなったときに
「愛すること」を知り、
死んでも生き返ることはありません。

人はやっぱり人なのです。
愛することは封印できないのです。
私たちは人として生まれたことに感謝し、
人として誰かを愛して
生きていくべきなのでしょう。

この本を読めば
「100万回生きたねこ」を
読み返したくなります。
まだ本書を読んでいないあなた、
「100万回生きたねこ」と
「100万分の1回のねこ」、
両方セットで本棚に並べましょう。

※タイトルの「生きる気まんまん」は、
 佐野洋子が最後に残した
 エッセイ集「死ぬ気まんまん」への
 オマージュなのでしょう。

※単行本が出版された2015年7月に
 すぐに購入し、
 文庫本化された昨年12月に、
 またしても買ってしまいました。
 単行本は勤務校の図書室に
 寄贈しました。

(2019.2.1)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA