「琴のそら音」(夏目漱石)

明治の文豪がホラーを書くと

「琴のそら音」(夏目漱石)
(「倫敦塔・幻影の盾」)新潮文庫

「琴のそら音」(夏目漱石)
(「百年文庫031 灯」)ポプラ社

心理学者の友人・津田から
幽霊の話を聞いた直後、
迷信好きの婆さんから
「今夜は犬の遠吠えがおかしい」と
言われた「余」は、
婚約者の身の上が
急に不安になってくる。
夜明けとともに、
婚約者のもとへ駆け付けた
「余」が見たものは…。

先日、志賀直哉「流行感冒」を読み、
続いて泉鏡花の妖怪ものを読み、
たしかインフルエンザと幽霊に
かかわる短編小説があったはず、と
しばらく考えていました。
なかなか思い出せなかったのも
無理のないことです。
作品のイメージが
漱石に結びつきにくいのですから。

「余」は法学士です。ゆえに、
はじめは心理学者・津田の幽霊話を
全く信じていなかったのです。
冒頭部分は二人の会話が
かなり軽快なテンポで進んでいきます。

その話とは、
インフルエンザから
肺炎に罹って死んだ女が、
出征先の夫の元に
幽霊として現れたというもの。
折しも「余」は迷信深い
住み込みの婆さんから
「家内の若い女に祟りがある」
と言われたばかり。
その二つが頭にこびりついたため、
「余」は婚約者のことが
心配になってくるのです。

津田との会談を終えて家路を急ぐと、
雨は降り出す、
葬儀の一行に出くわす、
切支丹坂という名の
気味の悪い坂を通る、
ゆらゆらと揺れる赤い火を見る…。
徐々に徐々に
不安に陥っていく「余」。
まるで心理サスペンスのように、
その様子が
巧みな筆致で描かれています。

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さすが漱石。
明治の文豪がホラーを書くと
こんなにも恐ろしいものが
できあがるのか、と思いきや、
終盤は「吾輩は猫である」を
彷彿とさせるような明るいユーモア。
「本当にさ、幽霊だの亡者だのって、
 そりゃ御前、昔しの事だあな。
 電気灯のつく今日
 そんな箆棒な話しが
 ある訳がねえからな」

一連の騒ぎはただの取り越し苦労で、
婚約者はぴんぴんしているという
「落ち」です。

でもそこにやはり
明治の知識人らしさが
にじみ出ています。
近代化の波が十分に浸透した
明治後半の世の中にあってなお、
法学士たる自分が
簡単に迷信や怪談話の
影響を受けてしまう。
新しい価値観と古い考え方の
狭間に立って
ほんの少しばかり
悩んでしまった「余」の姿は、
執筆当時の漱石と
重なるものがあるのでしょう。

漱石の迷いは、ここでは
ユーモアに結実したわけですが、
時間とともに苦悩に変容し、
その後の傑作長編群に
昇華していったのかも知れません。

〔「倫敦塔・幻影の盾」収録作品一覧〕
倫敦塔
カーライル博物館
幻影の盾
琴のそら音
一夜
薤露行
趣味の遺伝

〔「百年文庫031 灯」収録作品〕

(2019.2.5)

【青空文庫】
「琴のそら音」(夏目漱石)

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