「途上にて」(尾崎翠)

時代が未だに尾崎翠に追いついていない

「途上にて」(尾崎翠)
(「百年文庫039 幻」)ポプラ社

帰途にある「私」の脳裏に
浮かんでは消えるもの。
一つはこの通りをかつて
一緒に歩いた女友達との
「昔ばなし」、
一つは今日図書館で読んできた
「蜃気楼のこと」、
そしてもう一つは
道すがら出会った
中世紀氏との
「二年前の思い出」…。

これ以外に書きようがありません。
粗筋など無いようなもので、
帰宅途中に思い浮かんだことを
ただ並べただけのような
作品なのです。
しかもところどころ意味不明であり、
理解するのが
極めて困難な作品なのです。

一つめの
女友達との「昔ばなし」ですが、
「サロメ(多分映画)を見てきた帰り」
「通りにあるパン屋と
八百屋で買い物をしたこと」
「本屋に入ったこと」などが、
脈絡なく続くだけです。
パラダイス・ロスト横町など、
夢物語のような
地名が出たかと思えば、
映画の主演者の名前・ナジモヴァや
本屋の入り口の
マルクスエンゲルス全集の
立て看板等、
具体的な記述も同時に現れます。

二つめの図書館で読んだ
本の作者についても同様です。
作品中で
「たしか何とか閑という人」の
作品であると述べています。
長谷川如是閑かなと思えば
「如是閑氏でも薔薇閑氏でもな」いと
続きます。
○○閑という名前の作家は、
いくら探しても見つかりません。
また、
読んだ本「蜃気楼のこと」については、
全体の約1/3を費やして
詳細に語られるのですが、
舞台も時代も不明です。
そもそもそうした作品が
存在するのかどうかも
怪しいところです。

さらに「中世紀氏」とは
何者なのか不明です。
「私」とかつて交際があったのですが、
氏の方から一方的に絶縁を
言い渡された件が描かれています。

この脈絡のなさはまさに「夢」です。
いや、夢の方が
もう少しそれらしい筋があります。
一体この作品は何?
単なる夢を書き綴った物語?

もう一度丹念に
3つの話題を読み返すと、
共通するのは「失恋」です。
一つめは女友達の失恋。
「私」はそれを慰めていたのです。
二つめは本の主人公の少年の失恋。
それも瞼の奥に浮かび上がる女性
(おそらく空想の産物か)への
失恋と絶命。
三つめは過去における
中世紀氏との破局。
これは現実世界での自らの失恋です。

では作者は本作品を通じて
失恋の何を描きたかったのか?
やはり不明です。
今から90年近く前に書かれた
作品でありながら、
あまりにも前衛的すぎます。
時代が未だに
尾崎翠に追いついていないのです。

※この尾崎翠という
 明治29年生まれの女性作家、
 重度の頭痛持ちであり、
 鎮痛剤ミグレニンの服用量を
 常時服用、本作品発表時は
 その使用量が増え、
 その副作用として
 幻覚を見るようになっていたという
 話もあります。

(2019.2.6)

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