
横溝が血を吐くようにして書き表した私小説
「かいやぐら物語」(横溝正史)
(「蔵の中・鬼火」)角川文庫
(「横溝正史ミステリ
短篇コレクション②」)柏書房
鏡が浦での療養を
余儀なくされた「わたし」は、
真夜中の散歩途中で
貝殻を吹く「女」と出会う。
「女」はかつてこの地で
悲しい恋をたどった
「青年」と「令嬢」の話を
語り始める。それは
蜃気楼(かいやぐら)のように
怪しくも儚い物語だった…。
ミステリーというよりも、
もはや幻想小説です。
「かいやぐら」とは蜃気楼のことで、
実体のない幻です。
女の語る話は
本当にあった話なのか
単なる噂話なのか。
そして女の正体もまた…。
横溝正史の戦前の傑作短篇
「かいやぐら物語」です。
〔主要登場人物〕
「わたし」
…語り手。
精神疾患のため、転地療養中の青年。
「女」
…深夜の砂浜に現れた女性。
貝を吹いていた。
「青年」
…「女」に貝の聴き方を教えた青年。
精神を病んだ医学生。
「令嬢」
…「女」の語りの中に現れる、
肺病の療養で海辺を訪れた女性。
「青年」と心中する。
本作品の味わいどころ①
「女」の語る「青年」と「令嬢」の幻想物語
この地にかつて精神を病んだ医学生が
療養していた。
そしてもう一人、
資産家の娘が療養しに来た。
愛し合うようになった二人は、
明日に希望を持てずに死を選ぶ。
毒薬を半分ずつ飲んだものの、
男は生き残り、娘だけが死んだ。
男は娘に化粧を施し、
幾日も娘の遺体とともに生活した。
これが女が話した
幻想的な物語なのです。
描かれているのは
心中失敗による自殺幇助罪、
そして死体遺棄罪なのですが、
文章からは、犯罪といった匂いは
まったくしません。
具体的な情景をイメージすると、
おぞましさも湧いてくるのですが、
描かれている「青年」の心情からは、
そのようなものは伝わってきません。
「さらば私の美しい恋人よ、
私は聖母に仕えるように
忠実にあなたに侍(かしず)き、
あなたの体を護りましょう」の
一文に代表されるように、
美しいものを守り通したいという
一念しか感じられないのです。
真夜中の海岸に突然現れた「女」の語る、
若い二人の男女の幻想物語を、
まずはじっくり味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
「女」は蜃気楼か?「わたし」の異常心理
その幻想物語を語った「女」は、
最後に姿を消してしまうのですが、
では「女」は蜃気楼だったのか?
本文中の「わたし」は、
特殊な心理状態にあるのです。
肺病を患い、
「安定感を失ったわたしの神経は、
まるで研ぎすました剃刀のように
異様に尖り、ささらのように
荒らくれて」いたのです。
そして「生への執着と
死の恐怖に苛まれていた」のです。
「わたし」は極めて鋭敏な感覚で
夜の海辺を歩いていたのですから、
常人に見えないものが見えてしまっても
不思議ではないわけです。
「女」の話の中の「青年」もまた
異常心理です。
医科大での実習に
精神が耐えられなくなり、
刃物どころか尖ったものを見ても
錯乱してしまうのです。
そして死への願望が膨らみます。
蜃気楼のような「女」が語る、
異常心理の「青年」の話を、
異常心理の「わたし」が聴き取る。
「女」の存在も含めその一切が、
「わたし」の心が生み出した
幻影である可能性が高いのです。
病める「わたし」の異常心理と
それが生み出した蜃気楼(かいやぐら)を
次にしっかり味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
語り手の背後に透けて見える横溝正史
この「わたし」も「青年」も、
モデルは作者・横溝自身でしょう。
本作品執筆は昭和11年。
横溝の諏訪療養中に書かれた作品です。
当時特効薬のなかった結核に冒され、
片田舎で療養生活を
送らざるを得なかった自身の境遇が
「わたし」に投影され、
思うように筆を進めることの
できない苦しみと
死を覚悟しなければならない恐怖が
「青年」に移植されたかのようです。
本作品はミステリーでもなく、
幻想小説でもなく、
作者・横溝が感情のすべてを、
血を吐くようにして書き表した
壮絶な私小説と見なすべきでしょう。
語り手「わたし」の背後に、
蜃気楼のように透けて見える
昭和11年段階の、
病気療養中の横溝自身の心象風景こそ、
本作品の肝であり、最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと堪能しましょう。
さて、横溝と並ぶ
日本探偵小説の巨人・乱歩は、
その代表作「押絵と旅する男」や
「人でなしの恋」などが、たびたび
文学作品のアンソロジーに
収録されているのですが、
横溝の場合はいまだ「探偵小説作家」の
枠組みの中でしか捉えられていないのが
残念でなりません。
もし、昭和初期の文学作品の
アンソロジーをこれから編むとして、
そこに横溝の作品を加えるとすれば、
私はこの「かいやぐら物語」ではないかと
思うのです。
純文学作品の域まで昇華した本作品
「かいやぐら物語」を
ぜひご賞味ください。
(2019.2.10)
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(2025.1.9)
〔本作品の舞台について〕
本作品の舞台は「鏡ヶ浦」。横溝は
この海岸が好きだったのでしょう。
本作品以外にも、
戦後の金田一シリーズで、
「鏡が浦の殺人」「傘の中の女」の二作を、
リゾートビーチ鏡が浦での作品として
仕上げています。
もっともそちらは幻想的ではない
殺人事件なのですが。
〔「蔵の中・鬼火」収録作品一覧〕
鬼火
蔵の中
かいやぐら物語
貝殻館綺譚
蠟人
面影双紙
〔「横溝正史ミステリ短篇
コレクション②」収録作品一覧〕
鬼火
蔵の中
かいやぐら物語
貝殻館綺譚
蠟人
面影双紙
塙侯爵一家
孔雀夫人
鬼火(オリジナル版)
(2019.2.10)
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〔横溝正史ミステリ
短篇コレクションはいかが〕
〔復刊!横溝正史・角川文庫〕


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