本当の願いは「誇り」を取り戻すこと
「明月珠」(石川淳)
(「百年文庫035 灰」)ポプラ社
正月元日にかけた
「わたし」の願い、
それは自転車に
乗れるようになることだった。
自転車屋から中古を譲り受け、
そこの娘に指南してもらい、
稽古に励む。
ところがもともと運動の苦手な
「わたし」は上達が遅く、
深夜に一人で練習を…。
もう若くはない「わたし」が、
なぜ自転車の練習に打ち込んだか?
それは就職の機会を、
自転車に乗れないということで
逸してしまったからなのです。
戦時中ですので、
他にいろいろな仕事が
あるわけではありません。
「わたし」にしてみれば、
自分の能力のすべてを
否定されたような
気になったのでしょう。
読みどころの一つは、
自転車屋の娘を見る
「わたし」の目線の変化です。
娘は足に軽い障害があり、
歩くのにやや不自由をしています。
そんな娘が自転車を
颯爽と乗りこなす姿に
「わたし」は憧憬を覚えているのです。
ところが空襲が始まり、
戸惑っている娘を見たときには
俄然大人としての
眼差しにもどるのです。
「危機が迫ったおりには、
わたしの唯一の所有品の
古本の一からげを
みな焼いてしまおうとも、
この少女ひとりを助けて、
わたしのぼろ自転車に舁きのせ、
どこまでも走って行こうと、
とたんに決心した。」
読みどころのもう一つは、
石川の綴る日本語の味わい深さです。
早朝の空き地での描写は
声に出して読みたくなるような
美しさがあります。
「そのとき、
明けはなれようするかなたの空から、
風ともつかず光ともつかず、
靑、白、赤、三条の気が
もつれながら宙を飛び走って来て、
あたかもたれかが狙いすまして
虹の糸を投げてよこしたように
口中にすいすいと流れこみ、
つめたく舌にしみ
咽喉に徹るとともに、
体内にわかに涼しく、
そこに潛んでいたもやもやが
足の裏から洩れ散って行く。」
さて、
自転車に乗れるようになった
「わたし」はどうしたか?
「今やほとんどわがものと
なりかけた自転車について、
そうそう夢中で
のぼせていいるわけでもない。
もしこのぼろ自転車でも、
たってほしいという
ひとがあるとすれば、
無償で進呈してもいい。」
自転車に乗れるようになることは
手段に過ぎず、本当の願いは
「誇り」を取り戻すことだったのです。
表題の「明月珠」は
「暗闇でも自ら光を放って
照らす明月のような宝玉」の
意を持ちます。
「わたし」は「明月珠」を
手中にしたのです。
爽やかな読後感に
浸ることのできる石川淳の逸品、
高校生に薦めたい一篇です。
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