頭脳の中に湛えられた日本語の豊穣な海
「金閣寺」(三島由紀夫)新潮文庫

昨日は三島由紀夫「金閣寺」について、
その作品構造に触れてみました。
もう一つ
今回の再読で強く感じたのは、
作者三島の多様な表現力と
それを支える言葉の豊かさです。
作品のいたる所に
金閣の美しさを説明する
描写があります。
本作品の主題が「金閣に魅せられた
青年僧の心の闇」ですから、
主人公「私」がどのように
金閣の美を捉えていたかを、
三島は丹念に
読み手に提示しています。
「私の夢想の金閣は、
その周囲に押しよせている
闇の背景を必要とした。
闇のなかに、
美しい細身の柱の構造が、
なかから微光を放って、
じっと物静かに坐っていた。
人がこの建築に
どんな言葉で語りかけても、
美しい金閣は、無言で、
繊細な構造をあらわにして、
周囲の闇に耐えていなければならぬ。」
当然、
「私」の心の変容に伴って、
金閣の見え方も変遷していきます。
終戦を迎えた日、
「私」は再び金閣を仰ぎ見ます。
「外壁に塗りたくった
夏の陽光の漆に護られて、
金閣は無益な気高い調度品のように
しんとしていた。
森の燃える緑の前に置かれた、
巨大な空っぽの飾り棚。
この棚の寸法に叶う置物は、
途方もない巨きな香炉とか、
途方もない厖大な虚無とか、
そういうものしかなかった筈だ。
金閣はそれらをきれいに喪い、
実質を忽ち洗い去って、
ふしぎに空虚な形を
そこに築いていいた。」
そして金閣に火を放つ
直前に対峙した金閣。
「自ら発する光りで
透明になった金閣は、
外側からも、
潮音洞の天人奏楽の天井画や、
究竟頂の壁の古い金箔の名残を
ありありと魅せた。
金閣の繊巧な外部は、
その内部とまじわった。
私の目は、
その構造や主題の明瞭な輪郭を、
主題を具体化してゆく
細部の丹念な繰り返しや装飾を、
対比や対照の効果を、
一望の下に収めることができた。」
「私」の金閣の主観だけを抜き出し、
時系列に配列したならば、
それがそのまま「私」の転変を
表しているはずです。
しかしそうした
分析的な読み方をするよりも、
動くはずのない金閣を
あたかも変貌を続ける
生き物のごとく、
その表情の変化を克明に描出した
表現技法を堪能することこそ
本作品を味わうことに
つながるものと考えます。
それにしても
何という言葉の奔流。
三嶋はその頭脳の中に
常人には遠く及ばないような
日本語の豊穣な海を
湛えていたのです。
(2019.2.13)
