ただ延々と思考を繰り広げる、その記録
「壁の染み」
(ヴァージニア・ウルフ/西崎憲訳)
(「百年文庫039 幻」)ポプラ社
壁の染みに気が付いた「私」。
その染みは釘だろうか?
それにしては
大きすぎるし丸すぎる。
穴であろうか?
小さな薔薇の葉であろうか?
壁から突き出して
いるようにも見える。
今すぐ立ち上がって
調べなくてはならないのだが…。
本作品も粗筋を紹介するのが
困難な作品です。
何も起きません。
「私」は座して壁の染みを見つめ、
ただ延々と思考を繰り広げる、
その記録なのです。
では何を考えたのか?
「私」の思考①釘かもしれない
その釘の使用目的
(細密画を掛けるため)
→この屋敷の前の持ち主の趣味
→芸術の背後にあるもの
「私」の思考②もしや穴かも
私たちが人生で失ったもの
→時速五十マイルで
地下鉄の坑を移動するときの
予想される結果
「私」の思考③小さな薔薇の葉?
シェイクスピアの
筋書きらしいもの
→チャールズ一世の時代の花
→鏡に映る人の像
→ロンドンの日曜日
→テーブルクロスの現実性
→ホイッティカーの年鑑
「私」の思考④壁から突き出している
塚は墓か要塞か
→考古学愛好家の人間性
→要塞と鏃
「私」の思考⑤大きな古釘の頭だろう
知識とは一体何か?
→迷信が減少した世界の姿
「私」の思考⑥立ち上がって確かめる!
人の性・自己保存の営み
→ホイッティカーの年鑑
→現実的な感覚
→樹木の生長
→木の想像
→世界の思索・幸福な思索
以上、読みながら傍らで
ペンを走らせたメモ書きです。
読み返しても一向要領を得ません。
作者・ヴァージニア・ウルフは
生涯神経症の症状に悩まされました
(1941年には自ら命を絶っています)。
本作品はそうした神経症が
発露した結果の、
精神の分裂なのか、
あるいは作者自身でさえ
止めようのない想像力の本流なのか、
それとも意識の断片の羅列の裏に
計算された主題が
忍び込ませてあるのか、
私のつたない読解力では
何一つわかりませんでした。
最後に染みの正体が提示されますが、
これを「オチ」として
捉えてよいものかどうか…、
それすらわかりません。
一言いわせてもらえば
「それって動くから
わかるんじゃないですか!」
〔ヴァージニア・ウルフの記事〕
(2019.2.15)
【ヴァージニア・ウルフはいかが】
【今日のさらにお薦め3作品】