「渡りの一日」(梨木香歩)②

「派閥症候群」から「パフィー症候群」、そしてその先へ

「渡りの一日」(梨木香歩)
 (「西の魔女が死んだ」)新潮文庫

前回紹介したように、
本作品は「西の魔女が死んだ」に
並録されている、
主人公・まいの後日談です。
私はこの後日談というものが
好きです。
作品世界に奥行きの
広がりを感じるからです。
中には「自分のイメージが
崩れる」ということで
毛嫌いされる方も
いらっしゃるようですが、
私は大好きです。

特に本作品の場合、
「西の魔女」とは目線が異なっていて、
主人公まいを
かなり引いたアングルから
客観的にとらえています。
それだけまいが
自立できていることを
感じさせてくれます。

さて、「西の魔女」ですが、
まいはいじめにより
不登校となったことから
物語が始まりました。
いじめの原因は、
取るに足らない女子特有の
小グループの所属問題でした
(重松清の「きみの友だち」でも
同様な状況が描かれています)。

私は教育現場にいる人間として、
感じていることがあります。
私が勤務し始めたあたり
(平成初期)までは、
たしかに女子中学生の傾向として
「派閥争い」的要素を
多々感じました。
しかしそれ以降、
そうした状況は少なくとも
私の勤務している地域では
見当たりません。
それに変わって現れたのは、
女子の「二人一組」現象です。
平成5年頃からでしょうか、
女子は何をやるにしても二人一組。
いいことをするにも、
悪いことをするにも、
トイレに行くにも
二人一組でないと
行動できないのです。
だから学級や部活動の人数が
奇数になるともう大変でした。
「あまり」つまり「二人一組を
作れなかった最後の1人」は
何ともいいようのない
孤独感疎外感を
味わわざるを得ないのです。
その当時、
私は女子のそうした傾向を
「パフィー症候群」と
名付けていました
(パフィー:当時の2人組の
歌手ユニット。たしかほとんど
ユニゾンでハモる部分少なかったと
記憶しています。
二人で同じことをしてる、
という意味で)。

もしかして「西の魔女」から
本作品への、
まいの状況の変化は、
転校による変化ではなく、
「派閥症候群」から
「パフィー症候群」への
世の中の過渡期を
反映したものではないか?
などと、
穿った見方をしてみました。

その「パフィー症候群」も、
現在では私の地域では
ほとんど見られません。
前回記したように、
「大勢の群れの中に
飲み込まれるのではなく、
かといって群れと決別して
一人で生きていくわけでもなく、
自分の在り方を見失わずに
他者と共存して
生きていく」という生き方が
どれだけ浸透してきたのかは
分かりませんが、
以前よりは「生きやすい」環境に
なってきていると感じます。
子どもたちの笑顔を見る限りは。

(2019.2.18)

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