「村田エフェンディ滞土録」(梨木香歩)②

文明論もしくは哲学書といってもいいくらい

「村田エフェンディ滞土録」(梨木香歩)角川文庫

入国途上で匪賊に襲われ、
体調を崩している木下。
同胞を心配する村田に、
同居人のディミィトリスは
苦労して「醤油」を見つけてくる。
感謝する村田に彼は
「およそ人間に関わることで、
私に無縁なことは
一つもない」
と答える…。

本作品の読みどころは
「時代」「世界」「人物」それぞれの
「混じり合い」であると書きました。
多種多様な
登場人物の交わりの中に、
考えされられる言葉が
いくつも鏤められています。
文明論もしくは
哲学書といってもいいくらいです。
冒頭に挙げた台詞は、
私が最も気に入った文言です。
自分の立場に置き換え、
「およそ生徒に関わることで、
私に無縁なことは一つもない」と、
何かあるたびに
自分に言い聞かせています。

トルコの現状を嘆き、
かつてのビザンツ帝国の
衰退に擬えて
ディミィトリスがつぶやいた言葉。
「繰り返すのだ。
 勃興、成長、成熟、
 爛熟、腐敗、解体。
 これは、
 どうしようもないのだろうか。」

彼は自らのその問いに、
かつて教授された答えを回想します。
「その度に、
 新しい何かが生まれる。
 全く同じように見えていても
 その中で何かが消え去り
 何かが生まれている。
 繰り返すことで何度も何度も
 学ばなければならない。」

村田の部屋で起きた
怪現象をきっかけに、
神の在りようについて
村田とシモーヌが
話しているところに割り込んだ
木下の発言。
「僕はこういうことから、
 抜け出たいがためにも
 西洋を目指しているのだ。
 理に合った法、
 明晰な論理性、
 そういう世界を、
 僕は目指しているのだ。」

木下だけでなく、
当時の日本の文化人、
いや現代の日本人でさえ、
それが正しい方向性と
考えているのではないでしょうか。
それに対し、シモーヌは
毅然と言い放ちます。
「そういう世界、
 知らなくもないけど。
 あまりにも幼稚だわ。
 分かるとこだけきちんと
 お片付けしましょう、
 あとの厖大な闇は
 ないことにしましょう、
 そういうことよ。」

すべてを取り上げると、
紙面がいくらあっても
足りないくらいに、
含蓄のある言葉が
全編に溢れています。
そして物語は以下の言葉で
締めくくられます。
「彼らは、
 全ての主義主張を越え、
 民族をも越え、なお、遥かに、
 かけがえのない友垣であった。
 思いの集積が物に宿るとすれば、
 私達の友情もまた、
 何かに籠り、
 国境を知らない大地のどこかに、

 密やかに眠っているのだろうか。
 そしていつか、
 目覚めた後の世で、
 その思い出を
 語り始めるのだろうか。」

死ぬまでに
何度も読み返したい一冊です。

(2019.2.19)

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