飾らない夢二の魂が、そこにあります。
「童話集 春」(竹久夢二)小学館文庫

都会に憧れていた留吉は、
意を決して都へ出かける。
小学校時代の同級生・時雄を
頼ろうと思い訪ねてみると、
彼の家は立派な屋敷だった。
巡査から不審な男と
間違われた留吉は、
時雄の名前を出すが…。
(都の眼)
水撒人夫の熊吉は
情け深い男であり、
仕事の途中で見つけた日輪草を、
毎日水を与え、
丹念に育て始める。
ある日、
お内儀さんに誤解された熊吉は、
腰の立たないくらい
殴り倒される。
翌日、日輪草は…。
(日輪草)
街子は町絵師である父親と、
父親の描く絵を尊敬していた。
毎年の習で、
今年も稲荷祭りの掛行燈の絵は
街子の父親が担当していた。
街子は祭りで出会った
同級生たちが掛行燈の絵について
語っているのを聞く…。
(最初の悲哀)
竹久夢二の童話集です。
画家としての夢二の方が有名ですので、
童話創作はその余技と思いきや、
57冊の著作のうち
実に1/3が童話集なのだそうです。
本書はそれらの作品群から
19編を収録したものです。
さて、粗筋を記した三篇、
結末は何とも後味の悪いものと
なっています。
「都の眼」の留吉は、
同級生・時雄から
「お前のような友達は
持ったことはない」と告げられ、
失意のうちに故郷へ帰ります。
熊吉が翌日動けずに
水を与えられなかったことから、
「日輪草」は枯れてしまいます。
街子は父親の描いた絵に対して
同級生たちが「古くさい」と
蔑んだことから、
「最初の悲哀」を味わいます。
もちろん、本作品集には
幸せな結末のものもあります。
しかし童話集として読んだとき、
不幸せな終わり方の作品だけが
異質に感じられてしまうのです。
夢二はなぜ、子どもたちに
このような不幸なお話を
聞かせようとしたのか?
「はしがき」に手がかりがありました。
「「都の眼」の留吉にしても
「たどんの與太さん」の
與太郎にしても、
みんな私自身の少年の姿です。
「日輪草」の熊さんも
私の姿に違いありません。」
童話作家として
子どもたちが喜ぶような作品を
書いたのではなく、
一人の人間・竹久夢二として
子どもたちに寄り添った物語を
編み上げたのではないかと思うのです。
人として生きていく限り、
幸もあれば不幸もある。
光だけでなく影の部分も分け隔てなく
取り上げざるを得なかったのでしょう。
そう考えたとき、
冒頭に掲げた三篇ほど、
人間くささが滲み出ている作品は
ありません。
飾らない夢二の魂が、
そこにあります。
(2019.3.4)

※収録作品一覧です。
「はしがき」
「都の眼」
「クリスマスの贈り物」
「誰が・何時・何処で・何をした」
「たどんの與太さん」
「日輪草」
「玩具の汽缶車」
「風」
「先生の顔」
「大きな蝙蝠傘」
「大きな手」
「最初の悲哀」
「おさなき燈台守」
「街の子」
「博多人形」
「朝」
「夜」
「人形物語」
「少年・春」
「春」
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