三篇の作者の人生そのものが「幻」といえる
「百年文庫039 幻」ポプラ社

「白い満月 川端康成」
温泉場の別荘に雇われた
十七歳のお夏の率直な言動に、
療養中の孤独な「私」は
心を動かされる。
ある日彼女は、
谷川を見ているうちに
発作を起こして倒れる。
回復した後に尋ねると、
北海道にいる父親の死の姿が
見えたのだという…。
「壁の染み ヴァージニア・ウルフ/西崎憲訳」
壁の染みに気が付いた「私」。
その染みは釘だろうか?
それにしては
大きすぎるし丸すぎる。
穴であろうか?
小さな薔薇の葉であろうか?
壁から突き出して
いるようにも見える。
今すぐ立ち上がって
調べなくてはならないのだが…。
「途上にて 尾崎翠」
帰途にある「私」の脳裏に
浮かんでは消えるもの。
一つはこの通りをかつて
一緒に歩いた
女友達との「昔ばなし」、
一つは今日図書館で読んできた
「蜃気楼のこと」、
そしてもう一つは
道すがら出会った
中世紀氏との「二年前の思い出」…。
全100巻からなる百年文庫。
しばらく中断していましたが、
これで39冊目の読了です。
あと61冊。
道はまだまだ長いです。
本書のテーマは「幻」。
まさに「幻」のような三篇です。
川端康成の「白い満月」は、
白昼夢を扱った作品です。
それもお夏の見た
白昼夢の「死の予感」に、
主人公「私」の死の予感が共鳴します。
白昼夢が現実と重なり、
現実が幻を呼び込むのです。
ヴァージニア・ウルフの「壁の染み」は、
幻というよりは
「目の錯覚」に過ぎないのですが、
そこから迸る「私」の思考こそ、
まさに夢幻郷への誘いのようです。
尾崎翠の「途上にて」は、
「壁の染み」同様、
「私」の止めどもない回想です。
しかしそれは現実なのか想像なのか、
雲をつかむようなものなのです。
「私」は果たして現実の夜の街並みを
散歩していたのか、
それとも意識だけが
空中を浮遊していたのか。
「幻」なのは
作品だけではありません。
三篇の作者の人生そのものが
浮き世を離れた感があります。
川端は本作品をはじめとする、
死の香を放つ幻想小説を
いくつも書き表して、
最後は自死に至ります。
ヴァージニア・ウルフは
神経症の症状に悩まされ、
川端同様、
自ら死を選びました。
尾崎翠は
鎮痛剤ミグレニンを常時服用、
その副作用として
幻覚を見るようになっていたという
話もあります。
そして尾崎は文壇を去り、
姿を消します。
1899年生まれの川端、
1882年生まれのウルフ、
1896年生まれの尾崎と、
同世代の三人の作家の、
夢か現か判別不能の
幻のような作品集。
いかがでしょうか。
(2019.3.26)
