本作品は探偵小説の先駆け的存在
「指紋」(佐藤春夫)
(「開化の殺人」)中公文庫
「指紋」(佐藤春夫)
(「夢を築く人々」)ちくま文庫
「指紋」(佐藤春夫)
(「日本文学100年の名作第1巻」)
新潮文庫
英国帰りの友人R・Nは
彼の国で覚えた阿片により、
言動が常軌を逸してくる。
彼は米映画に
出演している俳優こそ、
長崎の阿片窟の殺人犯だと
「私」に告げる。
映画で大写しになった指紋と、
懐中時計の蓋の裏に付いた
それは、驚くほど…。
佐藤春夫。
現代となっては書店でその名前を
見かけることは殆どなくなりました。
明治の文壇で活躍し、
純文学のみならす、
詩・和歌・戯曲・童話・随筆・文芸評論等
幅広く活躍した作家です。
実はこの佐藤、
いくつか探偵小説も残しています。
本作品はそうした短篇の一つです。
長崎の阿片窟で
混濁した意識のR・Nは、目覚めた時、
傍らに死体が転がっていることに
気付きます。
もしかしたら自分が
殺したのかもしれないと
思っていたのですが、
そこに残されていた懐中時計には、
犯人と思われる人間の指紋が
くっきりと残されていたのです。
数年後、「私」とともに見た映画で
大写しになった
男優・ウィリアム・ウィルスンの指紋が、
まさにその懐中時計に刻まれた指紋と
一致したというものです。
予備知識がないままに読み始めると、
面白さを感じることができないでしょう。
指紋に関わる記述がまどろっこしく、
読んでいて辛くなります。
また、指紋が一致したことによって
R・Nが何者かに命を狙われたり、
犯人が逮捕されたりなど、
続く展開があるわけではないのです。
自身が関わった殺人事件の犯人が分かり、
R・Nが納得しただけなのです。
現代のミステリーの尺度で測った場合、
やはり及第点には及びません。
本作品の目玉は、
人間の指紋の唯一性を
具体的に説明したことなのです。
R・Nが指紋についての研究書を
買い漁って勉強したことも、
件の映画のフィルムを
大金をはたいて買い取ったことも、
映写機すら買いそろえたことも、
その説明に必要な設定なのです。
「指紋はこの世に二つと同じものはない」
現代では当然の事実なのですが、
当時はそうした知識は
一般には知られていなかったのだと
思われます。
本作品は探偵小説の先駆け的存在です。
それまで探偵小説は
存在していないのです。
乱歩や横溝が登場する以前、
佐藤以外にも谷崎や芥川までも
探偵小説に類するものを
書いていました。
その中で最も
探偵小説の体をなしているのは
佐藤だと考えます。
日本探偵小説最初の一歩、
味わってみませんか。
(2019.3.30)
〔追記〕
2022年3月に刊行された中公文庫
アンソロジー「開化の殺人」にも
収録されています。
明治の文豪のミステリを集めるという
企画が秀逸です。
アイキャッチ画像を
こちらと交換しました。
〔「開化の殺人」収録作品〕
一般文壇と探偵小説 江戸川乱歩
指紋 佐藤春夫
開化の殺人 芥川龍之介
刑事の家 里見弴
肉店 中村吉蔵
別筵 久米正雄
Nの水死 田山花袋
叔母さん 正宗白鳥
「指紋」の頃 佐藤春夫
〔「夢を築く人々」収録作品〕
西班牙犬の家
指紋
月かげ
陳述
オカアサン
アダム・ルックスが遺書
家常茶飯
痛ましい発見
時計のいたずら
黄昏の殺人
奇談
化物屋敷
山妖海異
のんしゃらん記録
小草の夢
マンディ・バナス
女人焚死
或るフェミニストの話
女誡扇綺譚
美しき町
探偵小説小論
探偵小説と芸術味
〔「日本文学100年の名作第1巻」〕
1915|父親 荒畑寒村
1916|寒山拾得 森鷗外
1918|指紋 佐藤春夫
1918|小さな王国 谷崎潤一郎
1919|ある職工の手記 宮地嘉六
1921|妙な話 芥川龍之介
1921|件 内田百閒
1921|象やの粂さん 長谷川如是閑
1922|夢見る部屋 宇野浩二
1923|黄漠奇聞 稲垣足穂
1923|二銭銅貨 江戸川乱歩
(2022.12.9)
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