「ひょっとこ」(芥川龍之介)

「本当の自分」なるものがあるのかどうか

「ひょっとこ」(芥川龍之介)
(「芥川龍之介全集1」)ちくま文庫

ひょっとこの面をつけて
酔っ払いながら踊っていた男が、
伝馬船の中で転げ落ちる。
男は山村平吉45歳。
酒癖は悪くないが、
酔うと馬鹿踊りをする癖があり、
ひょっとこ舞を
いつまでも踊っていられた。
やがて彼の死が知らされる…。

人はなぜ酒を飲むか?
二つの理由が
あるのではないでしょうか。
一つはもちろん酒が美味いから。
そしてもう一つは酔いたいから。
平吉の飲む理由は後者の方です。
「酒さえ飲めば気が大きくなって、
 何となく誰の前でも
 遠慮が入らないような心持ちになる。
 何故これが難有いか。
 それは自分にもわからない。」

したがって、
酔ったときの平吉は
ひょっとこ踊りをするだけではなく、
博打や女遊びも平気でできるのです。
酔って自我を
喪失したのではありません。
素面に戻っても、
自分のしたことはすべて記憶しています。

酒を飲むことによって
本当の自分が
現れたわけではないのでしょう。
ひょっとこの面をかぶって
踊っているのです。
「酔い」や「ひょっとこ」のヴェールを
自分にかぶせて
「違う何か」を演じているに過ぎません。

ここまでであれば、
「酒が人の理性を失わせる」という
一般論の提示で終わってしまいます。
しかしそこは芥川、
平吉にもう一つ
特異な性格を与えています。

彼は平素、よく嘘をつくのです。
「人と話していると
 自然に云おうとも思わない
 嘘が出てしまう、しかし、
 格別それが苦になる訳でもない。
 悪いことをしたと云う
 気がする訳でもない。
 そこで平吉は、
 毎日平気で嘘をついている。」

平時は「酔い」や「ひょっとこ」ではなく、
「嘘」で身を包んでいるのです。

酒を飲むと
普段できないこともしでかしてしまう。
酒を飲まないときは
多くを嘘で塗り固めてしまう。
平吉には
「本当の自分」がどこにあるのか、
自分でも理解できないのです。
いや、
「本当の平吉」なるものが
あるのかどうか。

芥川は最後に
読み手にとどめを刺しに出ます。
転倒し苦しむ平吉の面を取ると、
「面の下にあった平吉の顔はもう、
 普段の平吉の顔ではなくなっていた。
 ただ変わらないのは、
 ひょっとこの面ばかりである。」

死ぬ間際でさえ
本当の自分は現れないのか、
それともその醜い顔こそ
本当の姿なのか。
どちらにしても
やりきれなさの残る結末です。

毒をたっぷり含んだ、
芥川の初期の作品です。
高校生に薦めたいのですが、
新潮文庫や角川文庫には
収録されていません。
図書館でちくま文庫版を
探してみて下さい。

※若者はよく
 「自分探し」という言葉を使います。
 でも、本作品を読むと、
 「本当の自分などというものは
 どこにも存在しないのだよ」という
 芥川のしたり顔が見えてきそうです。

※私もお酒は大好きで、
 毎晩ヱビスビールを
 2本飲んでいます。
 酔うためではなく、
 美味しいからです。

(2019.4.3)

【青空文庫】
「ひょっとこ」(芥川龍之介)

2件のコメント

  1. あれ先ほど、荒畑寒村著“谷中村…”があったと思って
    コメントを考えていたところなのですが、いつの間に無くなっています
    ラバン船長さんが削除されたのですか…
    それはそれとして、この芥川龍之介の初期短編“ひょっとこ”は
    始めて買った文芸春秋社の現代日本文学館シリーズの芥川龍之介全集で読みましたね
    19歳の頃でした
    その時の読んだ印象として芥川と云う作家は早熟なすでに
    老成した作家だったと記憶しています
    大正の下町を舞台とした作品でしたね

    1. yahanさん、こんばんは。
      コメントありがとうございます。
      芥川のこの作品は、ややマイナーなもので、
      他の出版社の文庫本には載っていないものです。
      風刺の効いた、芥川らしい作品だと思います。

      荒畑寒村の「谷中村滅亡史」は
      まだこちらに移しておりません。
      yahoo!ブログに残ったままですので、
      そちらをどうぞ。
      近々こちらに移しますが。

      これからもよろしくお願いします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA