揺れ動く小野の心
「虞美人草」(夏目漱石)新潮文庫
優秀な成績で大学を卒業した
青年・小野の心は、
二人の女性の間で揺れ動く。
一人は我儘で美しい女・藤尾。
もう一人は恩師の娘で
奥ゆかしい小夜子。
かつて小野は小夜子の父親から
学資の面倒を見てもらい、
妻に娶る約束もしていた…。
「やがて、小野の抱いた打算は
女を悲劇に導く…」と、
文庫本カバー裏の紹介文にありました。
昼ドラを連想させる書きぶりですが、
決してそうではありません。
秀才・小野は藤尾と小夜子の
どちらと結婚するか迷っている、
ただそれだけなのです。
小野は自由で美しい近代的女性・藤尾に
惚れてしまいます。
でも、そこに踏み込めないのは
小夜子の存在があるからです。
かつて恩師・井上に
学資を支援してもらい、その際、
娘・小夜子を妻に娶る
約束をしてあったのです。
「向へ行って一歩深く陥り、
此方へ来て一歩深く陥る。
双方へ気兼ねをして、
片方ずつ双方へ取られてしまう。」
打算というよりは
むしろ優柔不断でしょう。
これで昼ドラをつくっても
視聴率はとれません。
では、本作品の描いているものは何か?
ここで藤尾と小夜子の
人物設定を考えてみます。
藤尾は美しくかつ自由な女性です。
自分の兄の親友・宗近の許嫁なのですが、
それにかまわず小野との結婚を望みます。
つまり、藤尾は何にも縛られない
近代的な女性なのです。
一方、小夜子は旧来の女性といえます。
ひかえめでつつましやかな人柄です。
五年の間、自分は小野の妻と
なるものと思い続けています。
藤尾と小夜子の間で
揺れ動く小野の心は、
近代化と旧来の価値観の間で
翻弄され続けた
明治の知識人たちのそれを
表しているように思えるのです。
宗近と小野の会話にそのことを
暗示している部分があります。
「少し妙だよ」
「何が」
「君の歩行方がさ」
「二十世紀だから、ハハハハ」
「それが新式の歩行方か。
何だか片足が新で片足が旧の様だ」
小野は家族のない天涯孤独の身です。
家の繋がりから解き放たれた
新しい人間にならざるを得ないのです。
しかし、
個人主義という新しい価値観には
やはりなじめない上に、
それらを自分の意志で
選択することもできないでいるのです。
だから流されるままに
ならざるを得ません。
それが小野の優柔不断の
正体なのだと考えられます。
揺れる心の小野が、
新しい時代の女性と旧来の女性の
どちらを選ぶか、
いやどちらを選ばざるを得ないか、
ぜひ読んでお確かめください。
※「ドラマにならない」と書きましたが、
調べてみたら映画化が3回、
ドラマ化が4回あるようです。
さすが漱石。
(2019.4.4)
【青空文庫】
「虞美人草」(夏目漱石)