「蝙蝠と蛞蝓」(横溝正史)

「蝙蝠男」から一転、驚異の名探偵へ

「蝙蝠と蛞蝓」(横溝正史)
(「死神の矢」)角川文庫
(「人面瘡」)角川文庫

東京の学生・湯浅は
アパート周辺の二人が
気になって仕方がない。
一人は何度も
遺書をしたためながら
一向に死ぬ気配を見せない
「蛞蝓女史」、
もう一人は風采の上がらぬ
「蝙蝠男」。
ある日、蛞蝓女史が殺害され、
湯浅に嫌疑がかかる…。

横溝正史金田一耕助シリーズ
短篇作品で、
わずか三十頁足らずの掌篇です。
手の込んだトリックもなく、
複雑な人間関係も登場しない
作品なのですが、シリーズの中では
なぜか評判の高い作品です。

【事件簿File-006「蝙蝠と蛞蝓」】
〔依頼人〕
剣突剣十郎
…アパート経営者。
 最近、病がちで床に臥せっている。
〔捜査関係者〕
河野
…湯浅順平を逮捕した警察官の一人。
「警部」
…順平を取り調べた警察官。
〔事件関係者〕
「おれ」(湯浅順平)
…語り手。アパートの住人。学生。
 鬱憤ばらしに隣人を殺害する小説を書く。
山名紅吉
…アパートの住人。学生。美少年。
お加代
…剣十郎の姪。順平が惚れる。
お繁
…アパート裏の家に住む女。
 金持ちの妾らしい。
 「蛞蝓女史」と順平は呼ぶ。
金田一耕助
…順平の隣に引っ越してきた男。
 「蝙蝠男」と順平は呼ぶ。
〔事件発生〕
昭和21年(東京)
〔事件の概要〕
・お繁が何者かに殺害される。
・順平逮捕。凶器の短刀は順平の所有。
 順平の寝間着に血痕。
 被害者の金魚鉢から順平の指紋検出。
・金田一、真相解明。
 順平、容疑が晴れる。
〔本作品の構成〕※五章構成
「一」順平、不満を募らせる
「二」順平、小説の構想を練る
「三」順平の書いた小説の冒頭部
「四」順平、逮捕される
「五」順平、取り調べられる

本作品の味わいどころ①
一人称で綴られる作品構成の妙

一人称で語られる作品は、
横溝作品にもいくつか見られます。
一人称の場合、語り手の見たものしか
描き入れることができないため、
筋書きを複雑にすることが難しく、
構成が単純にならざるを得ないという
欠点があります。
しかし、
語り手の目線で事件を追うことになり、
臨場感は大きくなります。
特に語り手が容疑者となる場合、
その冤罪の恐怖が、
読み手にひしひしと迫ってくるのです。
本作品の順平も同じです。
突然身に覚えのない殺人容疑で逮捕、
凶器・血痕・指紋と、
証拠が三つも揃っている上に、
自身が書いた小説の原稿が、
言い訳の余地をまったく
なくしているのですから、
冤罪の恐怖はひとしおです。
この、
一人称で綴られる文体から伝わる、
冤罪の恐怖の臨場感こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

ちなみに金田一シリーズにおいて
一人称で語られる作品としては、
「三つ首塔」「夜歩く」
傑作長篇二つが有名です。

本作品の味わいどころ②
自らが落ちこむ「書き置きの罠」

語り手・湯浅は、気に入らぬ二人
「蛞蝓女史」と「蝙蝠男」を、
自分の書いた小説の中で陥れて
溜飲を下げようとします。
その筋書きは、
自らが蛞蝓女史を殺害、
その罪を蝙蝠男になすりつけるという
設定なのです。
蛞蝓女史の書いた「遺書もどき」を使って
殺害をカムフラージュする
構想を下書きするのですが、
その原稿が現実の犯罪の
有力な証拠となってしまうのです。

第三者の書いた小説の通りに
殺人が行われる作品も、横溝作品には
いくつか見られるのですが、
語り手の書いた作品の殺人が
第三者によって実行されるケースは
珍しいかもしれません。
この、自らが落ち込んでしまった
「書き置きの罠」こそ、本作品の
第二の味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
「蝙蝠男」と蔑まれる金田一耕助

順平が「蝙蝠男」と呼ぶ人物こそが
金田一耕助なのです。
「いつも髪をもじゃもじゃ」にしている、
「冴えぬ顔色をしている」、
「襟垢まみれの皺苦茶」の
和服を着ている、
「小柄で貧相な風采」、
「生涯うだつのあがらぬ人相」と、
徹底的にこき下ろしているのです。

金田一耕助の事件簿

しかしその「蝙蝠男」、
いや金田一が無罪を証明し、
順平は窮地を脱します。
冒頭の一文
「およそ世の中に
 なにがいやだといって、
 蝙蝠ほどいやなやつはない」
が、
終末の一節
「おれはちかごろ蝙蝠が大好きだ。
 第一、蝙蝠は益鳥である」
へと
変遷する、その過程が
鮮やかに描かれているのです。
この、「蝙蝠男」から一転、
驚異の名探偵へと変貌する、
湯浅順平の眼に映る金田一耕助像こそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

さて、本作品の発表は昭和22年、
「本陣殺人事件」「獄門島」に次ぐ、
金田一ものの第三作にあたります。
ただし「獄門島」連載中に
本作品が雑誌掲載されているため、
完成は本作品が先となります。
シリーズ第一作「本陣殺人事件」で、
横溝は金田一の切れ者としての一面を
きわ立たせました。
しかしそれでは
ホームズや明智小五郎、さらには
自身の創り上げた由利麟太郎との
差別化が図れないと
感じたのでしょうか、
本作では金田一の、
風采の上がらない外面を強調し、
湯浅順平の口を借りて
徹底的にこき下ろしています。
見かけはお粗末でも
その能力は並ぶ者がないという
「金田一耕助像」を、
横溝は本作品でしっかりと
確立させようとしたのかもしれません。

事件の解決が小気味よく、
後味のよい作品として
仕上がっています。
金田一シリーズ、
執筆順では第三作、
事件発生順では第六作となる本作品、
他とは口当たりの異なる
テイストとなっています。
ぜひご賞味あれ。

(2019.4.7)

〔娘のつくった動画もよろしく〕
こちらもどうぞ!

墓村幽の味わえ!横溝正史ミステリー

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(2025.6.12)

〔蝙蝠は鳥類ではなく哺乳類〕
最後の一文に
「蝙蝠は益鳥」とありますが、
コウモリはもちろん哺乳類であり、
鳥ではありません。
横溝は生物学に弱かった!?

〔本作品の収録本〕
本作品は旧角川文庫版「死神の矢」に
収録されていましたが、
新角川文庫では
「人面瘡」に収録されています。

〔「死神の矢」角川文庫〕
死神の矢
蝙蝠と蛞蝓

〔「人面瘡」角川文庫〕
眠れる花嫁
湖泥
蜃気楼島の情熱
蝙蝠と蛞蝓
人面瘡

〔追記〕
本書は約三十数年間絶版中でしたが、
横溝正史没後40年&生誕120年記念の
一環としてめでたく復刊となりました。
杉本一文画伯の表紙画です。
デザインが
マイナーチェンジしています。

(2022.2.27)

〔関連記事:金田一耕助の事件簿〕

「獄門島」
「迷路の花嫁」
「魔女の暦」

〔角川文庫:横溝正史の本〕

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