「画の悲み」(国木田独歩)

時の流れの中に深い悲しみを湛えた珠玉の逸品

「画の悲み」(国木田独歩)
 (「日本児童文学名作集(上)」)岩波文庫

学力優等でありながらも
乱暴かつ傲慢である「自分」は、
それゆえに周囲から疎まれている。
一方、絵の上手な志村は
全校の人気を集める。
絵を描くのが好きな「自分」は、
展覧会で志村に勝つため、
見事な馬の絵を作品にするが…。

この「自分」は、学業優秀で
すべてにおいて一等なのです。
それでいて喧嘩好き、
向かうところ敵なしです。
でも、それ以上に絵が好きで、
絵で褒められたいと願っているのです。
だから「自分」は志村に対抗意識を
むき出しにしてしまうのです。
このあたりが子どもらしくて
微笑ましいところです。

対抗心が頂点に達するのは
学校の展覧会においてです。
「自分」は近くの厩へ足繁く通い、
見事な馬の絵を完成させます。
自信満々で
展覧会当日を迎えたのですが…。
志村の画は学校でも教えていない
チョークで書かれた
見事なコロンブスの肖像だったのです。
「自分」は打ちのめされます。

負けず嫌いの「自分」、
負けじとばかりに早速チョークを購入。
写生に取りかかろうと河原へ降りると、
そこに志村が。
二人は意気投合し、
対抗意識は友情へと昇華するのです。
「二人で歩いていると、
 時々は路傍に腰を下ろして
 鉛筆の写生を試み、
 彼が起たずば我も起たず、
 我筆をやめずんば
 彼もやめないという風で、
 思わず時が経ち、
 驚ろいて二人とも、次の一里を
 駆足で飛んだこともあった。」

そこで終わっていれば
めでたしめでたしなのですが、
二十歳になったときの
回想場面が加わります。
進学により上京した「自分」が
帰郷すると、
あろう事か志村は
十七歳で夭逝していました。
「闇にも歓びあり、
 光にも悲あり、
 麦藁帽の廂を傾けて、
 彼方の丘、此方の林を望めば、
 まじまじと照る日に輝いて
 眩ゆきばかりの景色。
 自分は思わず泣いた。」

志村が早世したことも
悲しみなのですが、
それとともに自分も大きく
変わってしまったこともまた
大きな悲哀なのでしょう。
志村とともに描いた野山に赴いても、
一向に筆を動かすことが
できなかったのですから。
日々の暮らしの中で
摩耗してしまった自分の感性に
向き合わざるを得なかった瞬間です。

わずか9頁の掌篇です。
珠玉の逸品であるにもかかわらず、
新潮文庫から出版されている2冊
「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯・酒中日記」の
いずれにも収録されていません。
移ろう時の流れの中に
深い悲しみを湛えた
国木田独歩の少年追憶物語、
万人にお薦めしたい一品です。

(2019.4.8)

2件のコメント

  1. ラバン船長さん
    こんにちわ^^
    独歩のこの掌編も読んでいませんので、近いうちに読んでみたくなりました
    現在、最愛の弟が生死の境にいるので、上の記事を読んで余計
    身に染む思いがします
    病院に行ったり来たり、落ち着いて絵を描く暇もない状況に
    なってきています
    申訳ありません
    私事になってしまいました…m(__)m

    1. yahanさん
      コメントありがとうございます。
      独歩の作品は、かなりの数が埋もれたままです。
      本作品は少年向けだったためか、
      一般的にはあまり知られていません。

      弟様の回復を心より祈念いたします。

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