そのイカれ具合は「肉体の悪魔」を越えている
「ドニイズ」(ラディゲ/堀口大學訳)
(「百年文庫001 憧」)ポプラ社

パリでの放埓な生活に
疲れ切った「僕」は、
静養に訪れた町の
田舎娘・ドニイズに惹かれる。
自分がドニイズに
完全に心を引かれないのは、
彼女が処女だからであると
考えた「僕」は、羊飼いの少年に、
彼女と逢い引きするよう仕向ける…。
先日取り上げた「肉体の悪魔」の
ラディゲの短篇作品です。
主人公・「僕」のイカれ具合は、
「肉体の悪魔」を越えているかも
知れません。
他の男にドニイズを誘惑させる。
処女でなくなったら、
彼女を愛することができると考える。
実際、そのように策略する。
相当イカれています。
これはもしや「肉体の悪魔」の
出発点のような作品か?
そう思って読み進めると…。
意外なことに、
結末はそうではありませんでした。
ネタバレになって申し訳ないのですが、
「僕」はドニイズをものにしようとした際、
不覚にも眠りに陥ります。
しかも「僕」は鼾をかいていたため、
彼女は彼の眠っている間に
書き置きを残して立ち去ります。
本作品は、「肉体の悪魔」と違って、
なんと本質はコントなのでした。
どんなに鋭い人間でも、
自分の鼾には気付かぬことが多く、
気付いたとしても制御はできません。
なんともはや、洒脱なオチです。
ドニイズも、
「肉体の悪魔」のマルトとは違います。
確固とした自我を持った、
それなりのくせ者です。
苦笑さえこみあげてくる軽妙な結末と、
恋愛対象の女性のキャラクターの違いは、
まるで本作品と「肉体の悪魔」が、
あたかも両極で、
かつ一対のものであるような
錯覚を引き起こします。
筋書きそのものは、
現代のライトノベルを探せば
それなりに見つかるものと思われます。
しかし、「肉体の悪魔」にしても
本作品にしても、
それらによく見られるような
「恋に恋している」若者の姿とは
明らかに一線を画します。
悲しいことに、ラディゲは20歳で
その一生を終えてしまいます。
かの国の作家のような
自死ではありません。
腸チフスだそうです。
天才だから早世したのか、それとも
夭折したから天賦の才を認められたのか。
いずれにしても、
端倪すべからざる作家であることは
間違いありません。
さて、恥ずかしいのですが、
私もしょっちゅう鼾をかきます。
それを自分で気がつきます。
私は鋭い人間なのか、
それとも鼾が人一倍大きいだけなのか?
(2019.4.11)
