本作品は紛れもなく久坂葉子の「遺書」。
「幾度目かの最期」(久坂葉子)
(「百年文庫001 憧」)ポプラ社
熊野の小母さんへ。
あなたにたよりしている気持ちで、
私は、おそらく今度こそ
本当の最後の仕事を、
真剣になって綴ろうというのです。
私はこれを発表するべくして、
死ぬでしょう。
私の最期の仕事なんですから。…。
と、作品中から
抜き書きしてみました。
粗筋を紹介しようにも、
明確な筋などありません。
本作品は、作者が自身の
1952年12月28日から31日までの
行動や思考を淡々と綴り、
自らの死を予告しているのです。
読み進めるうちに、
胸の鼓動が早くなり、
不安な気持ちがこみあげてきました。
これは創作の入った「私小説」なのか、
事実を追った
「ノンフィクション」なのかと。
作者・久坂葉子、享年21歳。
巻末の解説には、「父方の曾祖父は
川崎造船創業者の川崎正蔵、
母方の曾祖父は
旧加賀藩十二代藩主前田斉泰という
名門の生まれ」とあります。
しかし、作品はどう見ても(読んでも)
女性版太宰としか思えません。
太宰を敬愛していたというのですが、
作品の発しているエネルギーの大きさ、
そして作者・久坂の生き様は、
太宰のそれを遙かに凌駕しています。
死へ向かう理由となっているのは
三人の男性との関係と破局です。
作品では「緑の島」「鉄路のほとり」
「青白き大佐」と、なにやら意味深げな
コードネームで表されています。
最初、妻子ある「緑の島」に惹かれ、
自殺を図るものの未遂で終わります。
そして「鉄路のほとり」に
心変わりするのですが、
それでも「緑の島」を
忘れられないのです。
その上なおかつ「青白き大佐」と
婚約までしてしまうのです。
三人の男の間を気持ちが揺れ動き、
一つに決められない優柔不断さ。
いや、それを優柔不断と
決めつけてはいけないのでしょう。
彼女の、三人それぞれへの思いは、
どれも真実であると同時に、
どれも虚構に過ぎないのではないかと
思わせる顛末です。
混乱する恋慕の思い。
混濁する生への意識。
本作品を書き上げた直後の
1952年12月31日深夜、
彼女は阪急六甲駅において
鉄道自殺を遂げたのです。
そうです。本作品は、
「私小説」でも
「ノンフィクション」でもなく、
21歳の久坂葉子の、
紛れもない「遺書」なのです。
文章から滲み出る瑞々しい感性と、
痛々しいまでの心情の吐露。
50を越えたおじさんの心には、
この作品は刺激が強すぎます。
とはいえ、彼女は私よりも
35年早く生まれた大先輩。
私の祖母の年代に生きた
女性の青春期の記録が、
時空を越えて
現代の私の心を揺さぶるのです。
まさにこれこそが読書の醍醐味です。
※3人の作家の短編小説を
一冊に収録した百年文庫。
そのスタートとなる第1巻の最期に、
とんでもない作家が潜んでいました。
(2019.4.12)
【青空文庫】
「幾度目かの最期」(久坂葉子)