描かれているのは、二つの「破壊による喪失」
「海うそ」(梨木香歩)岩波現代文庫
昭和の初め、
人文地理学の研究者・秋野は、
かつて修験道の霊山があった
南九州の遅島へ赴く。
その島の豊かな自然、
歴史の闇にかき消された
人々の祈りのあと、
そして地図に残された
「海うそ」という言葉が
彼の心を捉える…。
梨木香歩の文庫本最新刊
(2018年4月発行)です。
梨木作品は発表されるごとに
テーマが難解となり、
現代では数少ない純文学作品として
その存在感を高めています。
本作品も読み解くのに難渋しました
(読み解けていないかも知れませんが)。
筋書きは、研究者の秋野が
遅島の山中を探索して
見聞したことと、
出会った人々から取材したこと、
そしてそれに対する
秋野自身の見解を中心に
組み立てられています。
事件らしいものは何ひとつ起きず、
ともすれば
圧倒されるような自然を描写した
紀行文と誤解されるような
作品なのです。
その淡々とした筆致で
真に描かれているのは、
二つの「破壊による喪失」です。
一つは本文に綴られている、
日本の近代化がもたらした、
廃仏毀釈に代表される
自然信仰の破壊です。
明治の初めに起きた廃仏毀釈により、
遅島の寺院をはじめとする
仏教のすべてが失われてしまう。
それとともに島にいたモノミミ
(シャーマンもしくは
イタコのようなものと思われる)の
存在も消されてしまう。
それは島が育んできた
伝統文化の徹底的な破壊であり、
人々の精神の根底部分を
崩壊させたのにも等しい
行為だったに違いありません。
もう一つは
「五十年の後」に記されている、
日本の高度経済成長の結果としての、
自然そのものの破壊です。
昭和初期には残されていた
「破壊の痕跡」すらも消し去る、
形そのものを根こそぎ
もぎ取るような破壊です。
九州本島から橋が架かり、
島はレジャーランドとして
改造されます。
秋野が50年前に目にしたものの
ほとんどはすでに失われていたのです。
このような「破壊による喪失」は、
日本の近代化から
戦後の高度経済成長の中で、
日本全国で
起きていたに違いありません。
あたかも実在するかのように
詳細に描かれていますが、
遅島は架空の島です。
作者・梨木は、
虚構の島の物語を紡ぎながら、
日本という国で失われてしまったもの、
その多くは
失われてしまったことにさえ
気付かれずにいること、
そしてその失われたものは
とてつもなく大きなものだったことを
描きたかったのではないかと
思うのです。
時間をおいて何度か読み通さなければ、
真の理解が難しい作品かも知れません。
本作品こそ、
大人が読み味わうべき小説と
いえるでしょう。
(2019.4.26)