「とりかへばや物語」(鈴木裕子編)②

「源氏物語」と決定的に違うのは作者の目線

「とりかへばや物語」
 (鈴木裕子編)角川ソフィア文庫

前回取り上げた「とりかへばや物語」、
「源氏物語」成立後の
平安末期に書かれただけあって、
「源氏物語」と同じ匂いがします。

一つはプレイボーイの活躍。
若君(実は女君)の親友となる
宮の中将、これが色好み。
光源氏には遠く及ばないものの、
匂宮ぐらいには匹敵しそうです。
この男、若君の結婚相手の女性に
横恋慕して寝取ったかと思えば、
次は姫君(実は男君)に惚れこみます。
さらにはその面影を
若君(女君)に見いだし、
ついつい押し倒し…、
ということで女君の人生を
180度転換させてしまう張本人です。

もう一つは
権力争いのサクセスストーリー。
二度目の入れ替わりによって
本来の性に戻った女君は、
帝に見初められて后となり、
男君は関白まで昇進します。
天皇との姻戚関係構築は
この時代の手っ取り早い昇進術です。

ところどころに
「源氏物語」を彷彿とさせる場面があり、
雅な平安貴族の物語を満喫できます。
決定的に違うのは作者の目線です。
紫式部が光源氏という
輝かしい男の一生を
描ききったのに対し、
未詳である作者の視線は
徹底して女君に注がれているのです。

若君として振る舞っている間は
自分の自由意志で
行動することができました。
それだけの判断力と行動力を
持ち得ていたのです。
ところが宮の中将との一件以降、
女君は女としての
悲哀を味わうことになるのです。

いくら男として振る舞っても、
男の力にはかなわず
無理やり関係を持たせられる。
子どもができれば
女として生まなければならない。
宮の中将は
四の君との関係も継続していて、
待つ身を耐えねばならない。
すべて若君時代には
考えもしないことばかりなのです。

女性に戻ってからも同様です。
女君は運命をすべて
自分の意志以外のところで
決められてしまうのです。
名誉なことではありながらも
帝と契りを結ばざるを得ない。
宮の中将との間に生まれた我が子を
自ら育てることができない。
自由に人と会うことすらままならない。
受け身でいざるを得ないのです。

出世という観点からのみ断ずると
幸せな結末といえるのですが、
女君の一生は苦悩に充ち満ちています。

男女入れ替わりという
現代にも通じる
娯楽の衣装をまといながらも、
その深奥に
女性の翻弄される生き方を描いた
平安末期の傑作、
まさに「女の一生」です。

(2019.5.2)

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