人間は何も手を加えないのが一番いい
「椿宿の辺りに」
(梨木香歩)朝日新聞出版
山幸彦の赴いた椿宿の地は、
たびたび本出川が氾濫し、
治水の必要性が叫ばれていた。
過去の二度にわたる治水工事、
そして現代では
その支流のほとんどが
暗渠となっていた。
そして今またこの地に
ダム建設の計画が浮上していた…。
前回取り上げた「痛み」とともに、
もう一つ本作品から考えてみたいのは
「治水」を通した人間と自然の関係です。
椿宿の地は、
二度にわたる治水工事も効果がなく、
暗渠つまり地下水路を造り上げ、
水を治めているのです。
ここで治水の歴史を調べてみると、
日本では戦国時代には
すでに治水の技術が確立していました。
有名なところでは「信玄堤」でしょうか。
その時代の治水技術は、
水勢に逆らわない
洪水遊水策がほとんどでした。
しかし明治の頃から
近代土木技術を駆使し、
連続堤防によって水を押さえ込む方法が
とられるようになります。
さらには多目的ダムの建設による
河川総合開発へと
より複雑化・高度化が
推し進められています。
椿宿の治水対策は、まさに
日本の治水の歴史そのものなのです。
しかし作者・梨木は、そうした在り方に
疑問を投げかけています。
洪水によって大地は肥沃となり、
作物を育て上げる力強さを得るのです。
河川の周囲には豊かな自然が広がり、
幾多の生命が宿るのです。
それを無機質のコンクリートで
埋め尽くし、
さらにはすべてを地下に押し込み
地上には生命のかけらさえ残さない。
それに飽き足らず、
次には巨大な建造物で
すべてを水底に沈めてしまう。
人間の技術が
自然を制御しているように見えて、
実は自然を単に破壊しているに
過ぎません。
人間の在り方に合わせて
自然を強引に改造していくべきか、
それとも自然の在り様に合わせて
人間の生き方を
柔軟に変えていくべきか。
以前取り上げた「冬虫夏草」の中で、
梨木は登場人物に
次のように語らせています。
「人は与えられた条件のなかで、
自分の生を実現していくしかない。」
椿宿の川筋の定まらない荒れ川は、
過去の火山噴火で山体崩壊が起き、
その岩塊が川を堰き止めたことが
原因であること、
そしてその山体崩壊は
再び起きる可能性が高いこと、それは
ダムなど簡単に破壊することなどが
終末で語られます。
人間の技術は本来ちっぽけなもので、
自然の巨大なエネルギーを
押さえ込むことなどできないのです。
梨木は、一つの解答例を示しています。
「何もしない。
洪水と干魃を繰り返し、
地勢が治まり、
植生が永続的なものに
なっていくのをただ、待つ。
自然の回復力を信じて、
人間は何も手を加えないのが
一番いい」。
自然と人間のあり方を問う、
梨木の傑作長編です。
高校生、そして
大人の皆さんにお薦めです。
「f植物園の巣穴」とともにどうぞ。
(2019.6.10)