「ベートーヴェンまいり」(ヴァーグナー)

一芸に秀でる者は多芸に通ず

「ベートーヴェンまいり」
(ヴァーグナー/高木卓訳)
(「百年文庫013 響」)ポプラ社

ベートーヴェンを崇拝する
青年音楽家である「私」は、
ガロップやポプリを
書いて得た資金で、
ついにウィーンへ
ベートーヴェンまいりをする
計画を実行する。
ベートーヴェン宅の
向かいの宿屋へ投宿するも、
一向に会ってもらえず…。

作者ヴァーグナーは、
「ニーベルングの指輪」や
「パルジファル」などの
壮大なオペラで有名な
リヒャルト・ヴァーグナーその人です。
えっ、大作曲家が小説も書いていた?
書いていたのです。
もちろん曲が売れる前の
貧乏作曲家時代に、おそらくは
生活費を得るためなのでしょう。
これがまた本職の小説家並みの
面白さですからたまりません。

小説家ヴァーグナーの腕前①
たくましい空想力による
ベートーヴェンとの邂逅

ヴァーグナーとベートーヴェンは、
生存時期がやや重なる
(ベートーヴェン1827年没・
ヴァーグナー1813年生)のですが、
接触はありません。
しかし、空想力をたくましくし、
いかにも自身がベートーヴェンと
苦労の末に面会を果たしたかのような
筋書きがなされています。
ベートーヴェンが人嫌いで
気難しい人柄であることを考えると、
かなり真実味のある状況設定に
思えてなりません。

小説家ヴァーグナーの腕前②
ベートーヴェンの口を借りての
自身の音楽理論の披露

当時のオペラ(おそらく
ロッシーニ作品か)に対する批判や
声楽と器楽の融合の試案など、
いかにもベートーヴェンらしい
ロジックなのですが、それは
ヴァーグナーの音楽理論であり、
作品中にそれを反映させているのは
玄人はだしです。もっとも
ヴァーグナーはベートーヴェンに
傾倒していたのですから、
その理論が似たものになるのは
当然なのですが。

小説家ヴァーグナーの腕前③
見事な道化者の設定とユーモア

金持ちのイギリス人作曲家もどきを
登場させ、
「私」の道中の邪魔をさせます。
それをユーモアたっぷりに描き、
ベートーヴェンと「私」の引き立て役に
仕立てるとともに、
筋書きに潤いを与えています。
彼が厚かましくも添削を依頼した
自作の楽譜の包み紙に、
ベートーヴェンに大きく×印を
書かせる場面などは
まさに抱腹絶倒です。

一芸に秀でる者は多芸に通ずという
言葉がありますが、
まさにそれを地で行ったような
大作曲家ヴァーグナーの短編小説です。
本好きにも、
そしてクラシック音楽好き、
ベートーヴェン・ファン、
ワグネリアン
すべてにお薦めの一篇です。

(2019.6.17)

David MarkによるPixabayからの画像

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