イイダ姫の告白は、まさに明治の価値観の混迷
「文づかひ」(森鴎外)
(「森鴎外全集Ⅰ」)ちくま文庫

ミステリアスかつ
ロマンチックな雰囲気を
裏切るかのような
イイダ姫の告白とは
一体何だったのか?
要約すると、
以下のようになります。
彼女はメエルハイムのもとに嫁ぐよう
親から言い渡されていた。
しかし自分は
好きな人がいるわけでもないが、
彼と結婚したくない。
彼に対して自分は何も感じない。
それを父親に話したが
取り合ってくれない。
だから伯母に頼んで、女官として
宮中にあげてもらうことを画策した。
姉妹や使用人に手紙を託すと
露見する可能性がある。
だから異国から来たあなたに
手紙を託した。
彼女のセリフにもあるのですが、
日本と同様、ドイツにも
親同士で決めた結婚に従うのが
女として当然の生き方だという
考え方があったのです。
その結婚を避けるための
苦肉の策という訳なのです。
作者・鴎外は、イイダ姫に
意中の人があるというような、
安易なラブロマンス的設定には
していません。そうした小説なら
「ロミオとジュリエット」をはじめとして
すでにいくらでも書かれています。
鴎外はイイダ姫に
「人間嫌い」の要素を盛り込んでいます。
他の姉妹たちと違って社交的ではない。
言葉にできない想いを
ピアノの即興で表そうとする。
ひとかどの青年将校である
メエルハイムには
何も魅力を感じないが、
障害をもつ従者には情けをかける。
おそらく彼女には
結婚して幸せになる未来など
見えていなかったのではないだろうかと
想像してしまいます。
親の言いなりにもなりたくない。
相手の男性に何の魅力も感じない。
だから結婚しない。
それは現代では当然なのですが、
100年以上前の時代です。
日本であれドイツであれ、
きわめて異質な
「個人主義的な」考え方なのでしょう。
鴎外は明治の時代に
怒濤のごとく押しよせてきた
欧米の自由主義的考え方を
日本の読み手の前に
提示したかったのではないかと
考えます。
ただし、
読後感は決して爽やかではありません。
一抹の寂しさと
後味の悪さを漂わせています。
鴎外は決して手放しで
「自由」を賞賛しているのではなく、
漱石同様に文化人として
悩んでいる姿勢が読み取れます。
あたかも読み手のために
咀嚼して提示しようとして消化不良に
陥ったかのようにも見えます。
最後のイイダ姫の告白は、
まさに明治の
価値観の混迷を聞くかのようです。
面白くも難しくも読める
鴎外のドイツ三部作の一篇、
まさに大人の読書本です。
(2019.6.28)

【青空文庫】
「文づかひ」(森鴎外)