「鉛の卵」(安部公房)

最後にやはり「わからなく」なるのです

「鉛の卵」(安部公房)
(「たそがれゆく未来」)ちくま文庫

何らかの事情によって
作動しなかった「冬眠器」。
100年後に
目覚めるはずだった男は
実に80万年後、
眠りからよみがえる。
男を出迎えていたのは、
まるで植物のような緑色をした
多種多様な形態の
新人類だった…。

これまで何度か取り上げた安部公房
本作品は未来へ漂流した男の物語です。
ここまで来ると完璧なSF小説です。

80万年後の人類の、その様相は…、
飢餓の果てに
自らの赤血球を葉緑素に置き換え、
「食べる」必要のない植物人類として
進化していたのです。
食事の必要がないばかりか、
居住空間としての「家」の必要もない、
ほしいものはすべて供給されるので
「店」も必要ない、
健康で長寿であるため
「病院」も必要ないのです。

「人間そっくり」「使者」では、
火星人が地球人そっくりであるため
区別がつかない、いや区別が
意味を成さないという展開でした。
本作品は同じ人類でありながら、
すべてが異なるという筋書きです。

この植物人間たちは、
実は「どれい族」を飼い慣らし、
壁の向こうに
押しやっているというのです。
男は植物人間たちに包囲され、
壁の向こう、
つまりどれい族の住む地域へと
隔離されます。
しかしそのどれい族は実は…、
80万年前の人類と
全く変わらない「人類」だったのです。
しかも「どれい」などではなく…。

さすが安部公房。真実は二転三転し、
一筋縄ではいきません。
そして男は最後にやはり
「わからなく」なるのです。

植物人種たちは
一人一人姿形が異なるものの、
性格は温厚で争いごともなく、
全ては自然の恵みによって
生きているのです。

一方、自分と同じ現代人たちは
「信じがたく巨大な
鋼鉄の網目のような都市が、
きらめきながら
そびえ立」っている中で
生活しているのです。

本作品が書かれたのは昭和32年。
高度経済成長の真っ只中です。
自然が破壊され、
近代的な都市が形成されていく
過程の中で、それが果たして
幸福につながるものなのかどうか、
安部の逡巡が結末に
反映されているように思えます。
「この自分に似た現代人と、
 あの見捨ててきた緑色人と、
 率直に言ってどちらがはたして
 自分の正当な子孫であるのか、
 にわかには断定しがたい、
 奇妙な錯乱の迷いに引き裂かれ…
 くしゃくしゃになった顔から
 涙をあふれさせると、
 あたりかまわぬ大声で
 泣きはじめてしまっているのだった。」

※本書はSF作品アンソロジーです。
 小松左京筒井康隆眉村卓などに
 連なって安部公房の名があるのは
 やや違和感がありますが、
 安部はやはり一流のSF作家であり
 超一流の純文学作家であると
 いうことでしょう。
 本書以外に安部の短編集
 「R62号の発明・鉛の卵」に
 収録されています。
 こちらの方が入手しやすいでしょう。

(2019.6.30)

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