「三四郎」(夏目漱石)③

三四郎と美禰子との間には…

「三四郎」(夏目漱石)新潮文庫

三四郎と「職工の妻」、
そして「三輪田のお光さん」との
関わりに注目してきました。
今回は中心人物・美禰子との
関係について
考えていきたいと思います。

親同士で決めるような
古い時代の「結婚」など、
三四郎の眼中にはまったくありません。
母親が手紙の中で匂わす
お光さんとの結婚について、
無愛想な態度をとり続けます。
彼はおそらく自分の自由意志で
自分の伴侶を決めたいと
思っているのでしょう。
その上で彼は
美禰子に惹かれていたのです。

現代であれば
当たり前のことなのですが、
100年以上前の明治の時代では、
それはかなり難しかったと思われます。
しかも条件が悪すぎました。

美禰子は三四郎とはほぼ同じ年齢。
年上の男性と年下の女性の
組み合わせが一般的だった当時としては
異例だったと思われます。
加えて美禰子はきわめて現代的な
(明治に描かれた女性が
「現代的」というのも変ですが)女性です。
明治の時代には珍しく、
自分の考えをはっきりと言える
快活な女性です。
男性の気持ちを察して
そっと寄り添うというような
タイプではないはずです。

ところで二人の間に
恋愛感情はあったのか?
三四郎は明確です。
美禰子の結婚話に
動揺しているのですから。
では美禰子は?

鍵は終末の一言
「我はわが愆を知る。わが罪は
常にわが前にあり」だと思います。
三四郎の気持ちをわかっていながら、
女性として世の中の流れに
身を任すしかなかった思いの
表れではないかと思うのです。

また、結婚式の招待状は、
「披露はとうに済んだ。
 野々宮さんは広田先生といっしょに
 フロックコートで出席した。
 三四郎は帰京の当日
 この招待状を下宿の机の上に見た。
 時期はすでに過ぎていた。」

つまり、
美禰子は三四郎が九州へ
里帰りしている時期を見はからって
招待状を出しているのです。
三四郎に来てもらいたくなかった
ということでしょう。

三四郎が積極的にアプローチしていれば
運命は変わったのでしょう。
しかし、旧来の結婚を否定しながらも、
現代的な美禰子を
御することができるほど
彼は現代的ではなかったのです。
彼自身の中で、
古いものと新しいものが対立し、
それを収束させることが
できなかったのでしょう。

明治の草食系男子と
言い去るのは簡単です。
しかしそれこそが作者漱石の
もっとも描きたかった部分ではないかと
思うのです。
粗筋らしい粗筋のない、
もしかしたら面白みのない小説と
感じられるかも知れません。
でも三四郎のそれから(その後の姿)は、
まさしく「それから」の代助であり、
本作品は紛れもない
悲劇の序章なのです。
読めば読むほど
深い味わいを感じさせる作品です。

(2019.7.20)

【青空文庫】
「三四郎」(夏目漱石)

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